現在の遼寧省を含む中国北方は439年に北魏に統一され、玄莵・遼東一帯は、5世紀初め高句麗に支配された。この遼寧省から現在の北朝鮮あたりの高句麗は鉄など鉱物資源の東アジア一の宝庫であった。
また遼寧省、すなわち弥生時代の燕国から精銅、製鉄の技術と資源が倭国にもたらされていた(参考)。邪馬臺国時代には対馬に製鉄所を建設して、本州方面に鉄を供給している(
参考)が、朝鮮半島の鉄資源の倭国による略奪行為は記録に残されていない。すなわち、北魏なり高句麗と仲良くしておけば、安定的な鉄資源の確保は出来た。当時、北魏や高句麗と倭国は争う必然性は無かった。通常の交易は可能で、鉄資源の略奪をする必然性は無かった。
ところが、4世紀後半からの倭国は三韓征伐に乗り出し、好太王碑にもあるように任那を足掛かりに高句麗や新羅と交戦している(
参考)。通説では鉄資源と技術を輸入する為に、任那、百済、新羅の宗主国支配と朝鮮半島の侵略をしたと説明している。
しかし、鉄資源や技術の輸入のみの為なら三韓征伐など侵略戦争は不要であった。実は任那、百済、新羅に残った同族(D2)の救出が主目的であった
(参考)。この同族、すなわち秦氏に製鉄技術者集団がおり、全員、日本列島に渡って来たことになる。
朝鮮半島南部は鉄資源が豊富と言うより、製鉄技術者が中国の遼寧省あたりから朝鮮半島北部、南部と移動して、そして任那に逗留生活して製鉄を営んでいたのである。倭国は同族の彼らが欲しかったのである。
参考
① 倭国が任那に力を入れた理由に、wikiでは当地の鉄資源の確保を挙げている
② 魏志弁辰伝に「国(弁辰のこと)は鉄を出し、韓・濊(わい)・倭、皆な従いてこれを取る。諸々の売り買いには皆な鉄を用い、中国の銭を用いるが如し」とあり、当時、朝鮮半島南部は鉄に恵まれていたのは確からしいが、鉄や鉱物資源なら高句麗(現在の北朝鮮)の方が豊かである。
③ 朝鮮半島の鉄と倭国の何を交換していたのだろうか?ある説として、「製鉄現場は大量の木材を燃料として必要とし、森林資源が枯渇し、後世の日本の多々良(たたら)製鉄でもそうであるが山々はハゲ山になっていた。すなわち、倭国の豊かな木材と交換して鉄を入手する」ことは考えられる(
参考)。
④ たたら製鉄が5世紀後半に日本に伝わったが朝鮮半島から消えたとか(
参考)!すなわち、製鉄技術者は全員、日本に渡来した!
⑤ 後世、16世紀末の秀吉の朝鮮征伐で陶工などを日本に連れ帰った(
参考)のも、同様な理由が考えられる。