太宰府の地には、大正期の地図では条坊制は確認できなかった! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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太宰府に元々、条坊制(条里制地割)があったかどうか?甚だ疑問である!大正期の1920年においては全く面影は無かった。市街化が進んで乱雑に家屋が立ち並び、1975年頃の御笠川以北の大宰府政庁跡正面でさえ乱雑であったが、この辺りは1990年頃から市街化計画により条坊制らしく綺麗な街並みになり始めた!

土地と言うものは一面一面に地権者がおり、戦乱や災害が無い限り綺麗な条里制地割はそのまま、相当な調整努力が無い限り乱雑な地割もそのまま残りがちです。

奴国と思しき博多湾付近のあたりは条里制地割の水田が広がって、今では美しい都市に変貌している。

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1920年の太宰府あたり

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1975年

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1990年

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1920年の福岡市街


参考

① 古地図用グーグルマップ(参考)


② 太宰府は未完の条坊制都市だった(参考)


③ 宮城県多賀城市の多賀城跡周辺には条坊制地割の面影が残っている(参考)


④ 防府市街は美しい条里制地割であり、国府は美しい条坊制であった(参考)


⑤ 昭和50年の航空写真で北九州の地域を比較しても、太宰府市あたりには条坊制は見出せ無かった(参考)