下関市の住吉神社は正しくは住吉荒御魂本宮とよばれ、住吉大神の託宣により神功皇后が穴戸の山田邑に創建したことになっているが、現在、下関市大字蒲生野の山田地区には雨乞い神事など若干の特殊神事は残っているようだが境内地などの痕跡は無い。また、住吉神社の本殿の左端に住吉大神が祀られている。
下関市長府の考古学的遺物、例えば忌宮神社を含む長門国府関連の遺跡は奈良時代以降のもので、穴戸の豊浦宮と思しき遺跡は綾羅木郷から秋根の古墳時代の遺跡が相当すると推定される。
追加(2017.11.13)
鎌倉時代に穴戸豊浦宮、山田邑の旧住吉神社、梅ケ峠の軽島豊明宮は焼失し、それぞれ、住吉神社は現在地に、軽島豊明宮と穴戸豊浦宮は忌宮神社に合祀された。
① 穴戸の山田邑(参考)
② 下関市の住吉神社は江戸時代までは武内宿禰を主祭神とする布刈明神であった(参考)
③ 現在の下関市の住吉神社(参考)
④ 考古学的に本当の穴戸の豊浦宮(参考)
⑤ 穴戸の国は元々、武内宿禰が作った(参考)
⑥ 穴戸の豊浦宮から長門国府(長府)へ(参考)
⑦ 長府や忌宮神社は奈良時代以降に出来た(参考)
⑧ 周防の沙麼の浦と狼煙ネットワークで通信していた(参考)
⑨ 満珠島・干珠島(参考)