長府の土塁を旧山陽道に沿って北上して追跡してみた。
途中、河川や通路に遮られ分断されているが、北端としてJR山陽線手前の忌宮神社の八幡御旅所まで確認した。この土塁の西側の四王司山側が中土居と言う地名になっていた。
実際にはJR山陽線の線路の手前に終端として忌宮神社の八幡お旅所境内があった。
参考
① 長府の中土居と言う地名と土塁(砂防ダム)(参考)
② 古代官道の旧山陽道(参考)
③ 長門城の候補(参考)
④ 八幡御旅所(下関市長府八幡町)
⑤ 北浦海岸の室津湾岸の元寇の土塁より規模が大きい(参考)
⑥ 版築土塁では無く単なる盛土のようだ(参考)
⑦ 土塁の北端部は未完ではあるが、計画されていた(参考)
⑧ 八幡お旅所は北北東に移動していた(参考)