長府の土塁を追跡した | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

長府の土塁を旧山陽道に沿って北上して追跡してみた。

途中、河川や通路に遮られ分断されているが、北端としてJR山陽線手前の忌宮神社の八幡御旅所まで確認した。この土塁の西側の四王司山側が中土居と言う地名になっていた。

{CFE0FB0B-7E46-4607-B1D6-A68810D0F96B}
土塁の想定(赤線)、黄色線が旧山陽道、青線が海岸線

実際にはJR山陽線の線路の手前に終端として忌宮神社の八幡お旅所境内があった。

{2C5B8781-7D28-46E4-86C6-F973F32A10C5:01}
長府金屋浜町側、南方向

{58A5C6E9-30E2-4F7A-829F-1F92F4E7BB81:01}
長府高校付近、北方向

{133EE75E-E566-41A1-B298-093B0ED630E9:01}
旧山陽道、南方向(忌宮神社方向)

{ABEC4823-EF9B-40FB-A549-8D64A345AA35:01}
中土居本町あたりの土塁の切断道、東西通路 

{B67407AF-6400-4AAB-990B-3E15DB727F52:01}
中土居本町から南方向(忌宮神社方向)

{1BF87A40-54E5-4077-8A63-35FA6ED59EFC:01}
中土居本町から北方向

{AE3CA75F-7C70-4BB9-9E73-98A889CF3CD2:01}
さらに北方向

{16C49CAB-B46C-415F-A91A-282581A0DF34:01}
終端(北端)、忌宮神社の八幡御旅所境内

{201DFBF3-B715-416A-A293-F19A942F552D:01}
終端(北端)の忌宮神社の御旅所、八幡御旅所


参考

① 長府の中土居と言う地名と土塁(砂防ダム)(参考)


② 古代官道の旧山陽道(参考)


③ 長門城の候補(参考)


④ 八幡御旅所(下関市長府八幡町)

元長門の国の三ノ宮の宇津宮の跡地で忌宮神社の御旅所の八幡御旅所があります。忌宮神社の春期大祭では、長府の町の各所で御神輿が練り歩き餅まきが行われます。八幡の御旅所でも御輿を台座の上に据えてにぎにぎしく行われます。


⑤ 北浦海岸の室津湾岸の元寇の土塁より規模が大きい(参考)


⑥ 版築土塁では無く単なる盛土のようだ(参考)


⑦ 土塁の北端部は未完ではあるが、計画されていた(参考)


⑧ 八幡お旅所は北北東に移動していた(参考)