仲哀天皇が5年の歳月で穴戸を開削した伝説(参考)は、風化花崗岩の真砂土で土砂崩れの恐れのある四王司山、勝山、そして青山(古名は形山)から流れ出た真砂土で埋まった綾羅木川を浚渫した工事のことであった。
ちなみに、長府から安岡を結ぶ長安線(県道247号線)と内日から新下関駅を結ぶ県道34号線の交差点で綾羅木川も流れるあたりは石原(いしわら)と呼ばれている。
参考
① 綾羅木川の上流について
四王司山から勝山、四王司山頂は花崗岩地質
② 綾羅木川流域を穴戸と呼ぶ由来(参考)
③ 穴戸国のあったあたりでも製鉄、製銅の産業で山々の木材を切り出し、禿山で山崩れが多発していた(参考)