オムニバスアルバムその1 前段 | 川嶋未来(SIGH)のブログ

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インターネット経由の音楽違法ダウンロードが問題になって久しい。多くのアルバムが簡単に、無料で、しかもたいていはアルバムの発売よりも前にダウンロードできてしまう。もちろんこれで音を判断した上で、気に入れば実際のCDなどを購入するという良識派も存在する。CDの販売総数が下がり続けているのは事実だが、その理由を違法DLにすべて押し付けるかは別として、相対的には良いアルバムはそれになりに売れるし、「試聴」されて、「何なんだこのクソアルバムは!」と思われるような作品は当然売れなくなる可能性はある。

 90年代初頭、所有していたシンセサイザーの音色拡張パックを買いに楽器屋へ行った。音色を拡張すると言っても、使えない音色ばかり入っていたのでは、大枚をはたく意味がまったくない。そこで店員に、試奏させてくれと頼んだ。「これはCDと同じなんですよ。CDも試聴できないですよね?なのでこれもできません。」というのがその女性店員の回答だった。当時は何となく、まあそんなものかと納得してしまったが、21世紀の現在においては考えられない対応だ。そもそもシンセの音色拡張パックとCDが同じであるということに何の論理性もない。だいたいその音色の出来に自信があるのならば、確実に試聴を薦めるべき。聞かせないようにするなんて、粗悪品であるとほのめかしているようなものだ。だがあの当時、「CD=試聴できないものである」という刷り込みには十分な説得力があったのも事実。もちろんタワーレコードなどの大手CDショップには、試聴機も配置されていた。だが、試聴機にセットされるのは当然メジャー中のメジャー作品ばかり。基本的にはCDというものは、買ってみて初めてその良し悪しがわかるという、ある意味ギャンブル色のあるものだったのだ。

 大手のCDショップにおける試聴機の配置は、メインストリームにおける音楽の作り方さえ変えたと言われる。試聴機はあくまで試聴機。まさかCDショップでじっくりアルバム1枚を丸々聞きこむ図々しい人間はそうそういない。普通は1曲目だけを聞いてみる、あるいは飛ばし飛ばし曲の冒頭を聞いていくことになる。となれば当然レコード会社はアルバム1曲目やその他の曲の冒頭を派手に、耳障りの良いものにするという、ある意味当然の戦略をとる。それが商売である以上、CDが試聴できないものであるのか否かで音楽の在り方が変わってくるのだ。

 インターネットの出現以降、アルバムは購入前に試聴できるものというよりも、試聴してから買うのが当然という風潮になった。これは、とんでもないクソ音源に大切なお小遣いを巻き上げられるという悲劇を防ぐという意味では有難いことだ。だが一方で、この試聴という行為には大きな落とし穴がある。言うまでもないことだが、「一聴して良いもの=良いアルバム」とは言い切れないからだ。初めは何だこれ、と思っても、聞き続けていくうちに止まらなくなってしまうアルバムが、この世にいくらでもあることは多くの方が体験的にご存じだろう。我々は初めてのアルバムを聞くときに、意識的にであれ無意識にであれ自分が過去に聞いた音楽に関する記憶との照合を行う。そこに良く言えば聞き慣れた、悪く言えば使い古された陳腐なメロディが多くあれば、そのアルバムを聴きやすいと判断し、まったく聞いたこともないような音の組み合わせ、例えばJ-POPしか聴かない人にいきなりシェーンベルクのピアノ組曲を聞かせたような場合、往々にしてこれを聴きにくい、耳障りであると判断する。現在のようにインターネットで試聴→購入という音楽の買い方がスタンダードになってくると、特に商業音楽の場合、オリジナリティのあるもの、斬新なものはますます生まれにくくなってくる。どこかで聞いたメロディ、よくあるリズムでなければ、さっと試し聞きをしただけで、購入ボタンは押してもらえないのだから。

 倫理的な問題は置くとして、インターネット前と後のどちらが音楽ファンにとって恵まれた環境であったのか、というのは難しい問題だ。私が青春時代を過ごした80年代、聞きたくても聞けない音源は山ほどあった。凄いらしいという噂は耳にしても、インターネットもない時代、デモしかリリースしていないバンドの音源を聞くのは容易ではなかった。その代わり、入手した音源には愛着を持ち、例え最初は気に入らなくても何度も聞き直した。というよりそうせざるを得なかったのだ。私の場合は昼飯を105円の半ライスコロッケで我慢し、残りの親からもらっていた昼飯代を貯め、金曜日に新宿に輸入盤のスラッシュLPを買いに行くのが常だった。LPを買ってくるとまずA面、B面の長さをそれぞれチェック、それに見合うカセットテープを購入しダビング。今考えると余程暇でバカだったとしか思えないが、いちいちタイトルから曲名まで全部をレタリングし、そしてついに1回目の視聴をラジカセで行うというのが儀式だった。こんな長ったらしい儀式を経たにも関わらず、一聴した結果、何これ、全然思ってたのと違うんですけど、というケースも当然少なくなかった。だからと言って、すぐに次のアルバムを買う経済的余裕もない。半ライスコロッケという日々の貧しい昼食に耐え、やっと貯めたお金で購入したアルバム、一度聞いて気に入らないからと無碍にラックにしまってしまうわけにもいかない。という訳で、例え一度目で気に入らなくとも、また次のアルバム資金が貯まるまで、そのアルバムは繰り返しプレイされることとなる。すると不思議なことに、最初はアレ?と思ったアルバムでも、二度三度と聞いているうちに、止められなくなってしまうケースが多々あるのだ。その代表が、Whiplashのファースト"Power and Pain"とDeathの"Scream Bloody Gore"。正直なところ、どちらも一度目はそれほどピンと来なかった。何だか似たような曲の連続で、一気にアルバム最後まで聴き通すのはツライなあ、なんて思ったものだ。だがこの二枚、あれから四半世紀過ぎた今でもしょっちゅう聴いているし、メタルアルバムベスト10を選べと言われたら、どちらもランクインさせるのは間違いない。現在では聴こうと思えばどんな音源でもまずインターネット上で、しかも無料で探し出せる。たくさんの音楽を好きなだけ聴けるという点では、現在は確実に我々の世代よりも恵まれているだろう。しかし、その手軽さ故に、聴きこめば気に入ったに違いな音源を、どれだけ第一印象だけで切り捨ててしまっていることか。どちらかが良いというのは簡単には言えない。ただ、確実に時代は変わった。それだけは間違いない。

 さて、前置きが長くなりすぎてしまったが、そんな古い時代にも、試聴の手段というのはあることにはあった。それがオムニバスアルバム、いわゆるコンピレーションアルバムだ。複数のバンドが一枚のアルバムに収録されているので、その中から気に入ったバンドを見つけ、フルアルバム購入するというのが当時の一つの試聴の形であった。もちろん現在でもコンピレーションアルバムは存在しているが、試聴という意味においては、その存在意義は甚だ低下しているのは言うまでもない。オムニバスアルバムには歴史を変えるほどのインパクトがあったものから、そこまでは行かなくても十分に名盤と呼べるものが多々ある。そりゃ各バンドが自信作を送り込むわけだから、自然とクオリティも高いものになりやすいのだろう。そして、オムニバスという複数のバンドが参加するという性質上、その後権利関係が複雑となり二度と再発されていない、CD化されていないというものも多い。そんなオムニバスアルバムから名盤、迷盤を次回以降少しずつ紹介していこうと思う。