映画「セッション」を観て、中学の時のこと、先生のスパルタのこと。 | 野坂ひかり official blog “Sing with Piano”

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ピアノ弾き語り“切実系”シンガーソングライター

今日はすごく哀しい夢を見た。
私の言っている事が嘘だと言われていて、私のやって来た事が嗤われるような恥ずかしい事だと大切な身内にも責められ、電車の中でそれを見知らぬ女の子に慰められたのか、「そんな事無いのに。絶対そんな事無いのに、証明出来ない」と悔しさや哀しさを噛み締めるような夢だった。
目が覚めても、身体中に夢の中からの哀しさが残っていて、哀しい気持ちの残像が消せなくて、暫く布団の中でじっとしていた。
何だろうこの哀しさは。こんな哀しい気持ちの夢って、こんな事って、今まであっただろうかと思う。
それでも哀しさは私ひとりの物で、決して誰とも共有出来ない物。
冴えない顔して、と鏡の中で自分と向き合った。

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弟が借りて来た「セッション」と言う映画を見た。
見終わった後唸る映画だった。
ひとりのドラマーの物語。物語のどんでん返しが何度も何度も有り、最後のドラムセッション、ドラムソロには思わず体が反応してリズムを刻み、観入ってしまう迫力。

そして映画を観ながら思ったのは、
「ああこう言う先生って居るよなぁ、居たよなぁ、え、あれ、思い出してなかったけど、私同じような授業受けたわ、中学生の時(!)」と言う事。

ここからはちょっとネタバレ含まれるので、苦手な方やこれから観ようと思っている方はお気をつけ下さいね。

音楽学校に通うドラマーを目指す学生の男の子が主人公の本作は、その学校のスパルタな先生のスタジオ・バンドに入り、その厳し過ぎるメンタルをやられる先生のスパルタっぷりを見せ付けられるのが本作のメインなのだけど、
私、これと似たような事、普通に中学の時に授業でやられた事ありましたわ、先生に。

記憶を紐解いていくと、そう、私は中学生の時一瞬だけ吹奏楽部に入っていた事があるのです、
「マウスピースが唇の形に合わない」と言う理由で、炎天下の中ひとりクーラーも無い別室で、ひたすらマウスピースだけをずっと吹いていても「ポーッ、ポーッ」と言う情けない汽笛のような音しか出ないのをずっと一週間位やらされていたっけ…。入り立ての新人の頃。

何も楽器が弾けないので(ピアノの伴奏は別でやっていた)、打楽器の何かで全体合奏に参加した事も何度か有りましたが、そこの顧問の先生がねぇ、まあスパルタで、普通にチョークとか飛んできましたしね、映画みたいに。
椅子を蹴りあげたり、人に向かってチョーク投げ付けたり、「何やってんだよ!!!!お前らぁ!!真剣にやれよぉぉぉ!!!!」とひたすら罵声飛ばされたり、
まああの映画の中の合奏風景の、ピリピリ一言も口聞いてはいけない、口聞けない空気のそのまんまでしたねぇ、そう言えば、懐かしい。映画を観るまで、そんな事忘れてました。思い出さないくらいどうでも良い、忘れたい事だったのかねぇ。
そこの部の先輩?だかに私の鞄を隠されたのか(恐らく)、返って来ず見付からなかった事もあったような事も思い出しました、そう言えば…その鞄らしき物どこ行ったんだろう…驚く位どうでも良いです、何の思い入れも感慨もない、あったかどうかも忘れていたどうでも良い出来事。
余りに無関心過ぎて忘れてました。

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中学校の音楽の先生は二人居て、もう一人居たおばさまの女の先生は、男子だけあからさまに贔屓していて、私はテストが100点でも、うちのクラスで私が伴奏をした曲が合唱コンクールで金賞を取っても、成績で「5」が貰えず、指揮の男子だけ(先生のお気に入りの子)「5」を貰っており、とても悔しかったのを覚えています…。
世の中の理不尽とか贔屓とか、露骨に有るんだなぁと肌で感じた一番最初の出来事です。今でも思い出すと腹が立つくらい。

伴奏は、ピアノを弾けるようになるまで練習に物凄い時間がかかります、私は暗譜しないと弾けないので、何度も何度も、他の生徒の子の何倍も時間をかけて、ピアノの伴奏をしていました。他の子のように遊ぶ時間も、ピアノを弾いていました。別にピアノを弾くことを選んで望んでいたし、楽しかったから良いんだけど。

クラスの朝練のために色々やった覚えもあるし、私の演奏した曲は今から思うととても難しく、あの曲を暗譜してあれだけ弾いていたと言う事は、もしかしたら今の私よりも、その頃の私の方が、ピアノが上手かったのではないかとすら思う。

その事がまっっったく評価されなかった。本当に、思い出しても腹が立ちます、お気に入りの異性の男子生徒だけ贔屓される理不尽に。思い切り、ムカつく。

その女性の先生は(本当に化粧っ気がなく、感情の起伏が激しい、感性豊かなおばさまだった)、
授業中に私のピアノにだけスパルタを掛け、私のすぐ横に来てピアノに張り付き、「この何小節目から、もう一回!」や「もっと感情を込めて、もっと、もっと、もう一回ここから!!」と何度も何度も、音楽の授業中に私だけ、延々とピアノを弾かされ続けた覚えがあります。
(クラスの他の生徒の皆さんはその間待機している、何もせずしーん、と声も発せずひたすら見守っている…。)

その授業が終わってから友達に「さっきのひかりちゃん凄かったね、あんな風に言われて、演奏がどんどん良くなっていくのが、二人がヒートアップしていくのが見ていてこっちにも分かって、私まで緊張しちゃった…私だったら、あれは出来ないし嫌だな、無理だわ…」と声を掛けられて、
私は「えっ、そう?そんなだったの、私全然平気よ~」とあっけらかんとしていた事を覚えています。
そう言えばそんな事もあった。(そこまでやるなら「5」をくれよ…!!ほんとに😡やってんだから!)

その先生は高校に進学してからも、合唱部の伴奏をやっていた私の名前をなぜか見つけたらしく、コンクールまでわざわざ観にいらっしゃってました。

私が伴奏を担当したその年が運悪く「10年に一度位にだけ巡っている、めちゃくちゃ伴奏が難しい課題曲の年」だったため、
軽音部に入りたくてその高校を選んで進学して、ピアノ伴奏に対してモチベーションが下がりまくった状態の私では、
その難し過ぎる譜面のピアノを当然上手く弾けずに(練習もする気すら起きなかった、寧ろ歌いたかったから軽音部に入って兼部していた)、
当日ボロボロで(確か)、
その観に来てくれていた中学の時の女性の先生から終わった後に
「悔しいでしょ?悔しいわね、じゃあもう一度やるって、来年頑張るって今ここで誓いなさい、良いわね!!よしっ!!頑張るのよ来年!!!」
と勝手に来年もやるみたいに決め付けられたので、
((ん…?よく分からない、なんか勝手に話進んでるけど(先生が進めてるけど?)、
何で私が来年もやらなきゃいけない事になってるんだろう…
私は歌を歌いたくて軽音部に入ってるし、もうこの人には会わないだろうし、まあやらなくていっか!p(∂o<)q☆ミ))
みたいな気持ちで、
その先生のよく分からない熱血に私は付き合いきれず、合唱部のピアノ伴奏は、もう二度とやりませんでした。(そこまで言うなら中学のピアノ伴奏の時にちゃんと成績5をくれ…!)

(その合唱部も雰囲気が合わない感じだったので、兼部は辞めて軽音部一本になりました)

―――

はい、いかがだったでしょうか?
私の理不尽なスパルタin中学生の時体験でした!

ほんとにさ、評価してくれてるんなら成績5をくれよ…男子とか異性差別しないでさ…マジで…

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あの「セッション」の映画のように、音楽人はよく分からなく狂っているので(独特の美学や信念を持っている)、音楽で殴り返さなきゃ駄目だな、と思いました。強く。

いや~物事って体験した事とリンクしますね、マジで。
久しぶりに中学生の時の事を、映画「セッション」を見て思い出しました。

最近記憶を追体験してる気がする。。

 


2018/01/11 明け方  野坂ひかり