両親からの大きな愛情に今さら気づく | 母も娘も『私がわたしの世界いち』お子様の摂食障害・不登校

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心屋認定カウンセラー

 

じゅんですブルー音符

 

 

 

次女の結婚がきっかけで、

 

改めて思い出した

自分の結婚の時のこと。

 
 
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私は母親の過干渉をずっと感じてはいたけど
当時はそれが当たり前だと思っていました。
 
 
 
30年以上前になりますが、
 
兄の結婚が決まりつつある状況で
私が感じたのは
 
兄が結婚したら
私への縛りがもっと強くなるだろうということ。
 
 
 
それが嫌で
私も結婚するつもりだった人(夫)との
結婚を決めました。
 
 
 
 
兄も私もそれぞれ勝手に結婚式を
同時に申し込み、
 
私の結婚式と兄の結婚式は
20日違い!
 
 
 
 
今と違ってあの頃は
結納もちゃんとして
その半年後くらいに、
 
入籍
結婚式・披露宴
新婚旅行
一緒に暮らし始めること
 
これが全部同時だった時代。
 
(少なくとも
私の地域では)
 
 
 
それが全部
兄と重なってたの。
 
 
私は新婚旅行から帰ってきたらすぐに
兄の結婚式だったなぁ。
 
 
 
しかも
兄は将来事業を起こす為の資金作りの為に
両親に同居を頼み込み、
 
二世帯住宅への改築も同時進行でした。
 
 
 
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それをね、
 
父も母も
全部承諾してくれたのよね。
 
 
 
 
 
私は
二世帯住宅への改築工事の為に
自分の部屋が無くなったり、
 
結婚準備で増えていく荷物を
置く場所にも困り、
 
母にすごく文句を言ってた記憶がある。
 
 
 
 
 
今と違って
親がかりだった結婚。
 
 
今ならすごくわかる、
 
2組同時がどれだけ大変だったことなのか。
 
 
 
 
 
次女たちは
ほとんどのことを自分でやって
私たち親の出る幕が何にも無くてね。
 
 
結婚式は未定だし
1人暮らしからの同居だから
本当にしてあげることがない。
 
家電を少し
頼んで買わせてもらったくらい(笑)
 
 
 
そんな時代だし
それでいいんだけど、
 
自分が親に用意してもらったあれこれを考えると
自分がしてもらった愛情を
今になって感じるんです。
 
 
 
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正社員で仕事をしていた母、
 
それだけのことを進めるのに
どれだけ大変だったことか。
 
 
 
土地柄もあるんだろうけど
断固拒否しても母が持たせてくれた
 
数々の着物とか
お客様用のお布団や夏・冬のお座布団などがあってね。
 
 
 
私、
使わないのに!
要らないのに!って
文句ばっかり言ってた。
 
 
 
でもそれも愛情だったんだな、
って思えるようになりました。
 
(実際使ってないけどね)
 
 
 
 
 
私の結婚式ギリギリまで
改築は続いていて
落ち着ける場所が無くてね。
 
 
父が結婚式前夜にくれた手紙があるんだけど、
 
私の身体を気遣う言葉などの最後に
そのことを謝まる言葉が書いてあった。
 
 
 
その手紙を
最近たまたま読む機会があったんだけど、
 
両親にどれだけ愛されてたかって
思いました。
 
(その手紙は母に言われて
父が書いたのだろうと思われる)
 
 
 
兄と私は2人兄妹。
 
地域的なこともあるのかもしれないけど
今とは違って
ほとんどのことが親も含めて進んでいった結婚。
 
 
 
それをよく同時だったというのに
日程を変えるようにとも言わずに
許してくれてたなぁと思います。
 
 
 
 
 
この大変さ、
きっと今の若い人には
伝わらないだろうなぁと思ったけど、
 
最近このことでの感謝から
たくさん愛が見えてきたので書いてみました。
 
 
 
 
こんな30年以上経って気づく
親の愛もあります。
 
 
 
自分が思ってるより本当はずっと愛されてたり
ないと思ってる愛情が実はあるかもしれないのです。
 
 
 
やっとこの大きな愛に気づいた私に
おっそいわ~!
って両親が笑って言ってる気がします♡