死んだ男の残したものは | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで30年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。



昨夜のコンサートは200名はびっしり収容出来たのではないだろうか。
直ぐに画像を載せられないのが、申し訳ないが、企画・内容、本当に素晴らしいものだった。

子供達のコーラスを指導したK先生は、音楽家とはいえ、何もかもが大胆で、はっきりすっきり、そして愛情たっぷりの方。(私より年下だけど、背も高いしいらっしゃるだけで、彼女がなにも言わなくてもじっと舞台に立つとすごいオーラというか、圧倒される様な空気に変わるのです)

今までのコンサートの中でも一番子供が少ない14人というグループだった。我が家は今週いっぱい学校が休みだから言える事だけれど、終了が夜の10時半を超えていたけれど、たとえ今朝学校があっても、出演そして鑑賞するに価するコンサートに思えた。ベルガモ、クレモナから参加してくれた家庭もあり。クレモナから参加のご家庭は、終電に間に合わないからといって、自前でホテルをとったと言う。でも小さなグループでも感動を呼び、拍手が絶えなかった。

舞台は、子供達の「かごめかごめ」から始まる。…がある時、突然の落雷の様な音とともに、「13日の金曜日」のジェーソンのごとき仮面の男が飛び込んできて、子供達は四方に逃げ回る…これは、地震を象徴していた様だ。その後、詩の朗読(イタリア語)で津波の話もあったと子供が話していた。スペイン語で、神はどこにいる…といっているような曲もあった。クラシックに偏らず、シャンソンあり、タンゴあり、大人の世界。それでいて、最後の出番まで、約一時間は子供達は、座っていなければならなかったが、ストーリーと普段子供が接しないような音楽と演奏、雰囲気ある熱唱の姿。大げさではなく、子供達の人生にも、きっと何か残せた一晩だったのではないだろうか。沖縄出身の友人S子さんの伴奏による、琉球民謡「てぃんさぐぬ花」はどんな花かもわからずも、K先生の歌声に感動し、涙してしまった。http://note24book.com/okinawatinsagunu.html

私の中で、一番感動だったのは、歌手であり俳優でもあり、昨夜の演出も兼ねた、Lorenzo Castelluccio氏とKさんとのデュエット「死んだ男の残したものは」は素晴らしかった。もちろん、日本語で。ピアニストも数人いたのだが、フランス人男性の伴奏も又、雰囲気があって酔わせてもらった。 $ミラノの日常 第2弾

ちなみに、この曲は、ベトナム戦争さなかの1965年、「ベトナムの平和を願う市民の集会」のために、歌詞は、谷川俊太郎、曲は日本の巨匠・武満徹により作られた。反戦歌ではあるけれど、またなんといっても詩がいい。

最後に、阪神大震災のときに、作られたと言う、毎度おなじみ「千と千尋の神隠し」の「いつでも何度でも」のイタリア語を朗読。そして、子供達の歌。そのあとに、Castelluccioが、子供達に向けて、三島由紀夫の「美しい星」の一部を朗読。練習の時点では、じっとしてられなかったり、ニヤニヤお互いを突っつきあっていた彼らも真剣な眼差し。

「美しい星」は、三島文学でも異色のSF作品であり、宇宙から見た人間という視点で書かれている、という。表面的には当時の核時代の人類滅亡の不安を表現したものだそうだが、非常に意味深い。

そして、フィナーレ、「オズの魔法使い」の「over the rainbow」。感動の嵐であった。$ミラノの日常 第2弾


今週末から、補習校の待ち時間の間、このK先生による「ゴスペルの会」が始まる。彼女の人間性に惚れ込んで、思わず行きます、と言ってしまった。さ~どうなることだろう。笑


「死んだ男の残したものは」

1.
死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

2.
死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

3.
死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

4.
死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

5.
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

6.
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない