わたしたちはどこから来てどこへ行く旅の途中なの? | 広島・三原市 フルートレッスンとオーラソーマの教室アヌヴィーノ

広島・三原市 フルートレッスンとオーラソーマの教室アヌヴィーノ

広島県三原市で、フルートを中心とした楽器と、オーラーソーマの教室をしています。ハートから奏でる音を探究し、あなたらしい演奏ができるようになります。
音楽と魂のセラピーであるカラーケアシステムを使って、世界と繋がるためのトレーニングを受けられます。

少し前から何故かこの言葉が内側で共鳴して

ちょうど山羊座の満月になる時間くらいに

まとまった呟き(眠れなかったともいうウインク

わたしたちはどこから来てどこへ行くのか
By ニーチェ

Who am I

「Who are you」あなたは誰ですかって、

私たちの日常の会話の中で使う可能性が

場合によってはあるかもしれないけれど、

普段なかなか「Who am I」私は誰かって聞かないものね。

下手したら、記憶喪失だと思っちゃうよね⭐︎

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(※今日はちょっと「下ネタ」表現があります)

Who am I...

私は、小さい頃「私はどこから生まれてきたの?」

ってよく親に尋ねていた子だった。

親は、性教育的な質問だと思い苦笑していて、

ある日、口の悪い父親が「お前はノォ!

わしの◯ンチ◯の先から生まれたんよ!」って、

面倒くさそうに言ったんだよね。

私は「何言ってんだこいつ!

(今だったらタントラ的真実な答えだというのは

もちろんわかるけど。っていうか

父に当時コイツとは思ってないけどね 笑)」

って思っていた。

ちっが〜う!😓って笑

そうではなく、私が聞きたかったのは私の存在

(魂)はどこから来たのかの答えを知りたかったんだよね。

小さい時から、

ニーチェのツァラトゥストラのような事(人間はどこからきてどこへ行くのか)を

考える子だったなーって、最近の朝に夢と目覚めの狭間で何かのメッセージのように思い出した。

(そうしているうちに、程なくしてシンクロが起きて

その答えのヒントになるであろうワークショップに気づいたら申し込んでた🐬)



私たちは、「どこからやってきて

何故ここに生まれたのか」を思い出そうとしながら、

「どこかへ向かって旅に行く」「自由」をもって

地球に生まれて、そして死んでいく。

死んだらどこへいくのか?

大切なのは答えを見つけることではなく、

問い続けること。

多くの人は、答えを「掴み取る」ために取り組むけど、

そうすると、そこで学びが止まってしまうんだよね。

その時その時が必要な答えで、

終わりのない(自分に対しての)無数の答えと出会う旅。

下手したら変な宗教かと思われるかもしれないけれど 笑アセアセ

生きていること自体、言ってみれば宗教みたいなものニコニコ

自分独自のルンルン

あ、でも崇拝する偶像は無いので、マイ哲学だよね。

みんなにもある?内なるマイ哲学。

因みに父親の父、わたしの祖父の回答はこう。

「お前がカカァのお腹に入る前はなぁ、

葉っぱの上におったんよ」

だった。

今思えば、この祖父もタントリック的見事な回答だった。

さすがお寺の子 笑(って関係ないかもだけど)

わたしも少なからず似たような血をもらっているようだ。

「わたしは誰か」
「わたしたちはどこから来てどこへ行くのか」

こう問うということは、小さい頃から生きにくいと感じていた私がいたんだと思う。

けれど、生きにくいと感じる「痛み」は、

私らしく生きるための味方であり友達だと知った時は、

衝撃だったと共に安心感がやってきた。

わたしたちは、日頃は自分の「痛み」を隠したり、感じないように追いやろうとする。

「痛み」があるのに無いように見せたりねキラキラ

そうやって、「痛み」と不毛な闘いをしている(プライドという形で)。

だけど、自分の「痛み」と闘うのをやめることで、その「痛み」からギフトがやってくるということも、わたしは深いところで知っているの。

闘うのを辞めるのは勇気がいるけどねグリーンハート

自分のタイミングとペースで痛みと向き合う(友達になる)ことで、

私たちが、「痛み」から少しでも自由になれますように
山羊座の満月だけに、ロイヤルブルーのメッセージをつらつらと思ったまま書いてみた。

最後まで読んでくださってありがとうハート