『J2に兄さんがいるんだ。
今はまだ会えないけどね』
春はいつからかそう言うようになりました。
特に、サッカーボールを蹴り始めると、決まってそんなことを言い出します。
春は、児童養護施設で暮らしている17歳の高校2年生です。
私は取材という形で、児童養護施設に出入りしていますが、そこで春と知り合いました。
初めて会った時、春はまだ小学校の低学年で、
私を見付けると、確認するかのように、ちょこっとだけ手を繋ぎ、それからまた元気に走り回る明るい男の子でした。
大きな目と彫りの深い顔立ち。
日本と他の国のハーフだとわかりました。
私には、春の小さくてやわらかな手の感触が新鮮で、可愛くて仕方ありませんでした。
春の保護理由は置き去りでした。
まだゼロ歳だった彼は、乳児院を経て、一歳と思われる頃、施設にやってきたそうです。
本当はお兄さんどころか両親もわからないまま17歳になった今まで、寂しいとも言わないし、特に手を焼かせることもなかった春が言い出したこのストーリーに、職員の方々は戸惑っていました。
サイズのチグハグな上下のジャージを着て、ボロボロのスパイクを持って、朝早く部活に出掛けていく春。
児童養護施設で生活しているからといっても、今は国や自治体からきちんとお金が支給されています。もう少しましな格好はさせられるはずです。
だけど本人がきかない。
『体、もっとでかくなるからって、でっかいジャージ買ってもらっちゃった。
案外伸びなかったな、俺』
『スパイクは、兄さんが試合で履いたのだからさ』
もちろんそんな事実はない。
『次の試合に出れたら、応援に来るって言ってるんだ。ダメだろうな。またベンチだけかな。。』
嘘じゃない。
『今度、チームの練習ボール貰ってくるよ』
願望なんだ。
その想像が、その想いが、彼を頑張らせてきたのだとしたら、誰に何が言えるのでしょうか。
自分はひとりじゃない。
同じサッカーをやってるお兄さんがいる。
身内がいる。
そんな春が今年、初めて試合に出させてもらえました。
途中出場ではありましたが、PK戦では、きっちり決めることもできました。
春は嬉しかったんだと思います。
試合が終わった後も応援に行ってた学園の指導員や学校関係者の元へ走っては、ハイタッチして回り、ポーズを決めました。
失敗してしまったチームメイトの気持ちを考える余裕なんかないくらい、春は嬉しかったんだと思う。
『兄貴に恥かかせらんないから』ってはしゃぎ、そして祝福されました。
ただそれの度が過ぎた。
はしゃぎっぷりが一線を越える頃、一線を越えた声が飛んで来ました。
『おまえ、捨て子だろ!
嘘ばっかつくんじゃねえよ!』
人の表情が、一瞬にして固まり、そして崩れて行く様子を見たのは初めてでした。
それが、私の大切な春に起こった瞬間だなんて。
変わっていった春のあまりの形相に、言い放ったチームメイトも固まってしまいました。
私も動けなかった。
周りに居た誰もが、次の言葉を探すことが精一杯で、かといって言葉が思い付かず、その場に制止していました。