私のドライブマイカー | そらねこカフェ・店主ゆぎえみ

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日々の思いを書いてます。






 90歳を目前にして父がだいぶ弱ってきた。幸いにして私は実家の近くに住んでいるので、毎日のように様子を見に行くことができる。
 若い頃はバリバリ働いた父だった。村のために村のためにと自然に口を突くような人だ。夕方は軽トラでゆっくり村の中を見て歩くのが日課だった。その時会った誰かと話したり、倒木や落石なども気にかけていた。だから外に出られなくなった今は、もどかしいんじゃないかなと思ってしまうが、意外とそんなこともないようで、父なりにやり尽くしたとでも言うのか、穏やかに日々を過ごしていた。
 しかしある日の夕方、1人で玄関に座って私を待っていた。車に乗り、行きたい所があると言う。認知症の始まりだろうかと思ったがそうでもなく、本当にどこかに行きたいらしい。私はとりあえず介助をしながら私の車に乗ってもらった。

 行きたいところは特別なところではなかった。以前やっていた、山の斜面にある桃の畑の跡地(よくぞこんなところに桃の木を植えたものだと感心する位急斜面)だった。ここから見る村は、ここに住んでいることを誇らしくなるほど美しかった。夕暮れに差し掛かり、少し暗いオレンジがかった光に包まれ広がる景色は、住宅が増えてきたとはいえ、ほとんどが田んぼと畑に占められている。白い花やピンクの花が土手を囲むように咲き始め、田んぼの準備が始まっている。美しいとはいえ、こんな山の中の村。先人たちは大変な苦労しながらここを守ってきたんだなとなんとなく感じた。高速道路も見える。今までは遠かった都会も、高速道路のおかげで格段に近くなった。それと同時にただの田舎の村ではなく、都心に近い場所として注目もされ始めた。新幹線も近い。「いいところだね」と私が言うと、父は何も言わずに、それでも満足気だった。

 これで帰るのかなと思ったら、中込(20分ぐらい離れた町)の方に行きたいと言う。さすがにもう夕暮れだ。帰ったら7時を回る。母に電話をすると、夕飯だから帰って来いと怒っている。しかし父は譲らない。仕方ないのでそのまま父の行きたいところに向かった。昔頻繁に桃生産者の会議を開催したホテルだった。全国から関係者が集まり父はそれをしきっていた。今はもう寂れてしまったホテル。中に入る?と聞いてみても「入らない」と言ってホテルを見上げていた。「古くなったなぁ」と言うので、「お父さんだって十分に古くなったよ」と言ってやったが、笑いもせず、懐かしそうに見上げたままだった。さあそろそろ本当に帰りたいと私は思った。しかし父はまだ帰らない。「了さん家に寄っていく」と言ってまた譲らないので仕方ないから父の友人である了さんのお宅に向かった。時間はもう7時半。絶対ご迷惑だと思いつつも、了さんちの前に着いた。了さんも90歳を超えている。今どうされているのかさえわからない。父はしばらく明かりのついている了さんの家を見ていたが、「さぁ、家に帰るだ」と言った。私はほっとして車を家へと走らせた。「どうしたの、今日は?」と聞いてみたが「どうしたってこともない」と一言だけで、帰り道は何を思っているのか何も話さなかった。「満足した?」と聞くと「うん」と本当に満足げだった。こんな時間に連れ回された私は少し意地悪な気持ちになり、「お母さん怒ってて中に入れてくれないよ、鍵かかってると思うよ」と言うと急に不安そうな顔になって、私はおかしくて、父が可愛らしくて、笑いをこらえるのに必死だった。だまったままの帰り道、なぜだろう?私も満足感でいっぱいになってきた。
 そんな私のわびさびな気持ちをよそに、案の定、母は普通に怒っていた。「こんな時間に何やってるの?」といいつつも、中に入れてくれたからよかった。父は明らかにホッとしていた。そしてそれからは何事もなかったように、パジャマに着替え食事をし、父はベッドに横になった。全く迷惑な話だ。そして何ということもない時間だった。だけどかけがえのない時間だった。実家を後にして車の中でなぜか涙が溢れて仕方なかった。幸せだと私は感じた。こんな時間は誰にでもきっとあるのだと思う。私の父はたまたま農業にいそしんだ人間だったからこんな流れだったけれど、本屋に連れて行ってくれと言った友人の父親を思い出した。何軒も何軒も本屋さんを回ったそうだ。だけど足が不自由だったため本屋の中には入らない。本屋の明かりを見て満足したって言っていた。そんな時間を一緒に持てたことはやはり幸せだと思う。見逃なければ、きっと誰にでもいろんな形であると思った。

 大好きな俳優が主演を務めた映画が、日本でも世界でもアカデミー賞を獲った。タイトルは「ドライブマイカー」。車で何でもなく街を流すそんな作品だった。シュールで、ロマンチックで、素敵な作品だ。授賞式の時に、主演の俳優が、「映画を観て、感想を言い合って、こんな幸せが普通にあるような世界に早く戻れば良いと願う」と語った。
 夕暮れの父とのドライブは、本当にくだらないことかもしれないし、聞く人によってはつまらないことだと思う。でもこんなどうでもいい普通の日常が幸せなことなんだとしみじみと思う。今、戦争が起きている場所でも、そんな風に生活していたのかもしれない。それが突然悲惨な酷い悪夢のような現実に投げ飛ばされる。大切なことを見逃さないようになんて言っている時間も考える時間も何もない。「だからこんな幸せは普通にあると思ってはいけない」なんて言うことも聞くけれど、何を望むわけでもなく普通にあってほしい。ささやかかも知れないけれど、この地で頑張った父を誇りに思う気持ちと、誰にでも、それが普通であることを心から願った。