私たち夫婦には子どもがいなかった。
私はそれ程、子どもが欲しいとは思わなかったけれど、夫はどうだったんだろうかと思ったりもしたが、聞いたことはなかった。
夫は、小さい頃から動物を飼ったことがなかったそうだ。そのまま、動物に興味も縁もなく大人になった。
そんな彼が猫ボランティアにどっぷりはまった私を嫁にしたものだから、我が家にはいつもいつも沢山の猫が保護され、もらわれ、病気の猫が静養していたり帰ったり、嫌でも猫だらけの生活に陥らされた。
特に文句も言わない代わりに、それ程協力的でもなく、しかし最低限のフォローはしてくれていたと思う。
縁あってうちに来た猫たちへの彼の接し方はぎこちなく、しかし微笑ましく、私はそれを楽しんでいた。
ぴ吉と名付けた茶トラの猫は、子猫の時に来た。
物凄く我が強く聞き分けがなく、暴れん坊で、2回の譲渡にも失敗した。
2回とも返され、3回目はあきらめ、うちの子になった。
しかしぴ吉は暴れん坊で我が強くわがままでどうしようもないように見えて、とても頭の良い猫だとわかった。
不思議な相性ってある。
だからだめだとおもったら無理する必要はない。
私の家とぴ吉はたまたま相性が良かったのかもしれない。
ぴ吉は人の言葉を聞き分けるし、生活のリズムが合ってくると、それ程大変でもなくなってきた。
ぴ吉自身も大人になったんだなきっと。
1年経つ頃には、普通に家族になった。
当たり前かもしれないけど、家族。いて当たり前。
私の家は茶系の家具が多いから、ぴ吉は同化していた。
ぴ吉は夫に良くなついてて、ぴ吉と夫を見ながら、もしも子どもがいたら、夫はこんなふうに子どもに接するんだな。。なんて重ねたりしていた。
私の家の前に父の畑がある。木にも登れる。だから最近になって、少しの時間、外で過ごすようになった。
今日も夕方の10分くらい、ほんの少し、外に出た。
私が用事で出かけ、帰って来てから入れようと思った。本当に10分。
び吉は木戸の所で車に跳ねられ、死んでいた。
今、たった今、死んだんだってわかった。
家の中に運ぶまでの数メートルも、ドロドロとした血が、口から止まらずに流れていた。
私はほんの一瞬で私の大切なものを失った。ひどい悲しみと、夫の愛しているものを守れなかった申し訳なさと、ぴ吉が当たり前にいてくれた日々がもう二度と戻らないんだと恐ろしくて、泣くこともできなかった。
ぴ吉はあまりに当たり前にいたから。
威張ってたし、わがままだけど、そっと寄り添うような雰囲気を漂わせていた。
ぴ吉にかぎらず猫はそんなものだと思う。
夫が帰って来た。
「もう少し一緒に居たかった」とだけと言って、いつもつかっていたブラシでぴ吉をとかした。それから、子猫の頃、よく遊んだ夫手作りの玩具を紙で作ってやった。
誰にも話したくなかった。
話す気力もなかった。
誰にも言いたくない。
ぴ吉がいないなんて言いたくない。
だけど、小さいときからぴ吉を診てくださってた獣医さんと看護師さんに話しに行った。この時点で私は錯乱している。どうかしている。病院には大変なご迷惑をかけた。
けれど、私が驚く程、看護師さんが驚いてくれた。
泣けない私の代わりに泣いてくれたのがわかった。
先生にも状況をお話して、即死だったか聞いた。苦しまなかったと思うって言ってくださった言葉は救われた。
ぴ吉は幸せものだね。
先生にも看護師さんにもすごく感謝している。
ありがとうございました。
私はまだ泣けない。
だからいっぱい思い出して、ありがとうって言って眠りたい。
ぴ吉、大好きだよ。うちの子になってくれてありがとう。
また、おかあちゃんとこ来てね。
おとうちゃんもまってると思う。
色がかわってもぴ吉だってわかるよ。
ぴ吉は神様がくれた私たちの子どもだった。
日が代わり、少し落ち着いた私は夫に言った。
「よく、虹の橋の向こうで待ってるって言うけど、また会えたら、ピ吉、怒られると思って目をそらすかな?」
「置いてかれた僕らがどんだけ寂しい思いしたか、ちょびちょび飛び出して事故にあっちゃってさ、やばい~怒られる~とか、思ってるな」
少し笑った。
そして思った。
本当に我が子をなくしたなら、たった一晩で、こんな会話をしながら笑うことはできないだろう。
どんなに寂しくても辛くても、やっぱりぴ吉は猫なんだ。
それでいい。
けれど私にしかわからない私の子供。
それでいいと思う。
まだまだぴ吉の気配が消えない家の中で、大切なものを突然失う切なさと、当たり前に続くことなんてないんだって思い知らされている。