アスンシオンで物乞いについて考える | すぎたびノート

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約4年ほど勤めた会社を辞め、世界を旅していきます。

シオンブエノスディアス。すぎけんです。

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3泊したイグアス居住地を後にし、パラグアイの首都アスンシオンへ。


イグアス居住地からアスンシオンは、アスンシオン方面に走るバスをヒッチハイクのように手を挙げて捕まえます。平日だと割りと頻繁に走っているようだが、この日は日曜日だったのでバスを捕まえるまで1時間くらい掛かりました。50,000G(約942円。正規の値段不明)


所要5時間程度でアスンシオンバスターミナルに到着。アスンシオンと言えば有名な日本人宿「らぱちょ」があり、僕もそこにお世話になりました。



らぱちょの1階が日本食が食べられるレストランになっており、早速しょうが焼きをいただきました!イグアス居住地に続いて日本食を食べてます。どれだけ海外で美味しい料理を食べてもやっぱり日本食が世界No.1だわ。これは変わらん。


次の日、何も見どころが無いと言われるアスンシオン市内を観光することに。



ローカルバスに乗ってセントロへ。





ガイドブックを見てもこれといって何もない。とりあえず英雄広場と呼ばれる公園で休んでみた。何故かフリーWi-Fiがサクサクだった笑



大統領府。



強烈なパラグアイ推し。フランス人が見たらやっぱりパクリだって思うのかな。





少し歩いてメルカド4という市場。日用品がこれでもかという程売っている。でも特に普通の市場で面白みが無い…。


以上!アスンシオン終了!


…期待を裏切らない見どころの無さでした。


だけどね。パラグアイから感じていたことが一つあって、それは物乞いが多いこと多いこと。南米の中では最貧国と聞いていたけどアルゼンチン、チリで見かけなかった光景がパラグアイに入ってから目に付く。


バスで赤信号待ちの時にまだ小学生であろう少年少女が物を売りにバスに乗ってきたり、町を歩いていても路上で老人がお金を要求してきたり。なんだかアジアを思い出した。


そういった人たちに対する対応は本当に正解の無い堂々巡りな問題で旅人同士でもたまに議論になったりもする。見てみぬフリをするのが正解なのか否か。自国の問題は自国で解決すべきで僕らバックパッカーには関係のないことだというのが見解としては多い気がする。


ただね。僕は場合によってはお金をあげてもいいと思う。いつかのインドだったか、あれは確かジャイプルだったけかな。突然スコールのような雨風が凄くなり、トゥクトゥクに乗って急いで宿に帰ろうとしていた時に、ボロボロの服を着ておまけに裸足の6歳ぐらいの男の子が信号待ちの時に雨風吹ざらしの中、頭の上に大きなお盆を載せてその上でゴムボールを器用に回転させていた。それまでは僕は自国の問題は自国で解決すべきだと思っていて一度も物乞いに何か差し出すってことは無かった。お金を貰うことに味を占めて再び物乞いを繰り返さないようにする意味も含めて。ただ、その貧しそうな少年の姿があまりにも衝撃的で初めてそこで物乞いに対してお金を恵んだのを覚えている。


何よりそこで思ったのが単純に自分ができないワザを幼い少年が軽々とやってのけたことに驚いたのが一つ。きっと家でもずっと練習しているんだろうな。


それととても上から目線で傲慢な考え方になるけど、そういった少年の立場からして一つのことを努力すれば大人は見てくれる、努力は少なからず報われるってことをその少年に肌で感じて欲しいと思ったこと。誰でもできるような物売りや車のミラー吹きなんかは別に努力しないでもできるよね。それのその時は豪雨という環境だったせいかどうしてもその少年を見過ごすことはできなくてほんの少額の小銭だけどお金を恵んだことがある。


らぱちょの宿のご主人ともそういった話をしたけれどこれって正解はないよねって結論になった。どうしても日本人的見方をすると物乞いに何か施しを与えている人を見るとその人はマイノリティで受け入れ難く思うのは至極自然なことと思う。日本にはそういう光景滅多に見ないからね。ただ、物乞いに対して施しを与える人を軽蔑したりっていう考え方にはどうにも腑に落ちない。それはその人の自由でお金をあげるも良し、無視をするのも良しということだろう。


まとまりのない結論だけどアスンシオンではそういう風に考えを巡らせながら街を歩きました。一つ言えるのは貧しくも未来ある子供たちが少しでも光の当たる人生を送ってほしいということだ。


※今回の宿
アスンシオン【民宿らぱちょ
狭いけどとても居心地の良い日本人宿。自然と延泊してしまった。混むので要予約。