ついにマチュピチュ様とご対面 | すぎたびノート

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約4年ほど勤めた会社を辞め、世界を旅していきます。

ブエノスディアス。すぎけんです。

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マチュピチュ様といよいよご対面の瞬間が近づいて参りました。


朝5時暗いうちにに宿を出てマチュピチュへと向かうシャトルバスに乗り込みます。既にこの時間で先頭から200Mくらいの列ができており、結局1時間待ちようやくバスに乗れました。インティライミ直後で人が多いことは予想してましたがそれを上回る混雑具合でした。



朝6時半頃、ようやくマチュピチュのエントランスに到着。本当はマチュピチュに暗いうちに入り朝日を見たかったんですがこの人の多さでは無理ゲーでした。





エントランスを抜けてまずは遺跡全体を見渡せる見張り小屋を目指します。いよいよテレビや書籍で何度も目にしてきたマチュピチュをこの目で見れるんだと思うとワクワクが抑え切れません。



そしていよいよ感動の瞬間。



生で見るその姿は写真で見る何倍もの迫力と感動があり、いよいよ自分の旅も大詰めを迎えてきたのかなぁと少しセンチメンタルにもなったりしました。あまりにも素敵なものを見てしまって今までの旅の記憶が断片的にフラッシュバックしてきてしばらくはこの光景を眺め続けました。さらにこの光景をしっかりと脳裏に焼き付けたいそんな思いも交錯して頭の中が意味わからん状態になりました。この場所が素敵な場所であることに一寸の疑いの余地もありません


精神的に落ち着くまで?しばらく眺め、次にマチュピチュの内部を見ていきます。高台になっている見張り小屋の脇は綺麗に段々になっていました。



次に市街地跡とされる遺跡内部へ。



門をくぐると石で築かれた部屋がいくつもあります。ここで食べ物を貯蔵していたらしいです。



横を見渡すと美しい段々畑がありました。マチュピチュには300~1,000人ほどが生活していたと考えられ、この畑でトウモロコシ、ジャガイモ、コカの葉が生産されていたようです。



石切り場。建築で使う石をここで削り生産していました。



隙間を埋めるように造られた石の壁。インカ帝国の建築技術って本当に凄いと思います。



続いて進んでいくと神殿がありました。この窓から初代皇帝マンコ・カパックが産まれたという伝説があるようです。



他にもそれらしきものがありました。神官の館、主神殿というらしいんですがどっちがどっちだかわかりません。





マチュピチュ遺跡の中で最も高い場所に立つインティワタナと呼ばれる日時計。当時暦を読み解くのに重要な意味を示していたようです。



インティワタナから見下ろす居住区。貴族、技術者、一般庶民が暮らしていたのがこちらのようです。



居住区からの見渡す景色。高低差を利用しているので美しいです。



これは王様の住居かな。石壁が高いことや寝室のような部屋があることからも位の高さを感じます。





最後がこの陵墓。ここだけ使われている石が違います。



遺跡を一周した後は、真裏に立つマチュピチュ山に登ります。時間帯が7~8時と9~10時で選べましたが僕は後者のほうにしました。



思ったより急な道を登っていきます。





途中小さく見えるマチュピチュ。



登り始めて1時間ちょっとで山頂に到着するものの…



霧で全く見えない笑…登り損でした。





山頂は寒いのですぐに引き返し、マチュピチュを後にしました。帰りはバスで登ってきた斜面をひたすら駆け下ります。帰りのバス代12ドル払うんだったら1時間かけてマチュピチュ村まで自力で帰りますよ。





マチュピチュはやはり素晴らしいところでした。また、よくこんな山の上にクオリティの高い遺跡を造ったなと驚きましたし、これを近代になってよく見つけたなとも思いました。このマチュピチュは水力発電所からマチュピチュ村まで歩いてきた川沿いの道を、川を挟んで対岸に聳え立つ山の上にあるんですが凄いのが下からだと全く遺跡の存在を確認することができないところ。かつてスペイン軍がクスコなどインカ帝国の領域に侵攻したときもこのマチュピチュは存在を気づかれなかったらしいです。今や世界遺産になって世界中から観光客が来るようになりましたけどこれを最初に発見した人の感動は死ぬほど大きいものだったんじゃないかと想像できます。個人的に間違いなく南米最大のハイライトとなりました。


次の日、クスコへと帰るために再びスタンドバイミー。



クスコで遣り残したことといえばマチュピチュ以外の周辺の見どころを巡ること。クスコに戻った翌日にそれらを訪れます。