対話の中で気づいたこと | しるくらし。

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学校へ行かない選択。
子どもとの関わりなど。

発達や生きづらさの話しなど。

名古屋市内にて不登校の親の会を開いています。

対話、安心できる温かい場にしていきたいです。

学校では声の大きい人や目立つ人の話は聞かれたが、

自分みたいに目立たない人の話が聞かれることがなかったと思う。

 

そもそも、何か意見をという前提が、

みんなから平等に聴きましょう、

ではなかった。

 

そんな中で

自分は人に話を聴かれる価値はない、とか

私の話なんか誰も聴きたくない、とか

 

話すなら、面白い話をしないと、

と思うようになったんだと思う。

 

それが無意識に価値観としてしみ込んでいた。

 

 

大人になり、

自分の意見を言うことが怖くて、

何を感じているのかさえ分からなくて、

 

ただ批判されたくない、

という思いが先に立つ。

 

この場にそぐわないことは言わないように、

なんて言えば満足してもらえるのか、

 

そんなことばかり考える。

 

自分の言葉なんて少しも出てこない。

 

 

話を丁寧に聴いてもらうことなんて本当になかった。

話を丁寧に聴く事もなかった。

話を丁寧に聴き合う環境でもなかった。

 

 

ようやく今、それを知り、

まずは自分が丁寧に聴いてもらう経験をし、

話を聴いてもらうことのパワーを実感した。

 

 

いろんなところへ行くと感じる。

みんな自分の話を聴いてもらいたくて仕方がない。

自分もふくめて。

 

 

どうやったら人の話を丁寧に聴けるのか、

学び実践中。

 

思うようにはできないけど、

そうでありたいと思う気持ちは変わらない。

 

 

先日の対話の練習会で、私の癖に気が付いた。

 

私は何か”いいこと”を言いたくて仕方がない。

一目置かれたい、みたいな。

 

いいこと言わないと、発言の価値がない、

そう思ってるらしい。

 

知らなかった自分の一面を発見した。