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しるくらし。

学校へ行かない選択。
子どもとの関わりなど。

発達や生きづらさの話しなど。

名古屋市内にて不登校の親の会を開いています。

対話、安心できる温かい場にしていきたいです。

久しぶりに“多様な学びプロジェクト”の

オンラインに参加。


たまたま参加者わたしだけで、

代表の方々とがっつり1時間半お話しできました。


親の会を始めたので、その話から、

だんだんあれもこれも…とりとめない私の話を、とても対話的に聴いてもらえた。

とってもありがたい時間だった。


主体性、とか、自主性とか、

結局何が正解?なんて分からないじゃないですか。


そんな話をしていたら、



「子どもが笑ってるのなら、それが正解」

と言われた方がいましたよ、って。



なるほど!

そりゃそうだ。

シンプルなんだよなー✨



子が選択したことに、親が納得できないこと

ありませんか?


私はあります。


矛盾してるなーとは思うんですよね。


だって大切にしたいのは自己選択、自主性。

けど、自分が意図しないこと選んだ時に

なんか違う方やらせたり。


素直に「私は不安だからそっちじゃなく、

私が選んだこっちにして」と

言えればまだいいんだけど、


「あなたのために〜」とか言って

自分の素直な気持ちを出さず、いい人ぶって

子どもの選択をなかったことにするとか、

なんか嫌だなーと思う。


で、何が正しいか知りたくて、

あるはずのない答え外に探しに行ったり。



だから、私はまずこれを真ん中に置こうと思う。


【子どもが笑ってるかどうか】ってこと。


子どもの選択を応援する。

もちろん伴走はする。

味方であり続けたい。




やりたいと思ったことはやるようにしている。

行動して、経験すること、

感じることが私の喜びだから。

 

それが続こうが一度きりで終わろうが関係なくて

経験してみることが自分自身の喜び。

 

とにかく経験したい。

 

 

いろんなことに興味がありすぎて

深堀することはあまりなくて、

とにかく知りたいことややってみたいことがたくさんある。

 

時間の許す限り

自分に色々やらせてあげる。

 

いろんなな学びの場に出向くと

いろんな人との出会いがある。

最近では学生さんから親世代まで。

 

背景が違うと本当にみんな違う。

当たり前なんだけど。

 

ずっと同じコミュニティーに居ては

自分の視野も少し狭くなってしまうかもしれないと思った。

 

ここは居場所じゃなかったな、

なんか浮いてるな、

大事にしてるものが違うな、

 

と感じる場にも出会うけど、

それもまた経験と言えば経験。

 

 

今、学校の特別支援教育支援員の養成講座を受けている。

いろんな背景をもって方が集まっている。

 

ここは支援員養成ということもあり、

学校で頑張っている子の親が多い。

だから自分とは視点がだいぶ違うのだけど、

それもまた学びになる。

 

 

反対の意見を聴いたら、

「じゃあ自分は何を大切にしたいの?」と

自分自身に聴くようにしている。

 

 

昨年はチャイルドライン受け手養成講座を受けた。

 

点と点の学びがつながっていく感触もある。

 

 

 

 

 

 

 

日々思うこと、

学びの場に行くととくに感じること。

 

大きい声の人の意見が拾われる。

主張しないと届かない声がある。

 

想っていても感じていても届かない。

小さな声にも耳を傾けられる人でありたい。

 

その人がそうである背景を想像してみると、

話の聴き方が違ってくる気がした。

 

そして、何より、

私の気持ちは?何を感じているか。

どうしたいのか、どうありたいのか、

何を言いたくて、何を言いたくないのか。

を感じることを丁寧にやる。

 

 

人は自分の話を聴いてほしいんだと思っている。

丁寧に聴かれることで力を回復していくと思っている。

 

 

安心できる場所、

安心して気持ちを出せる場所があるから

何か理不尽があっても耐えられる。

 

認めてもらえる場所や人が必要だと思う。