西鉄バスジャック事件 | 少年犯罪事件史

少年犯罪事件史

2013年11月からスタートしました。少しずつ記事を書いていきます。

「魔の1982年生まれ」「切れる17歳」といわれる世代の少年事件。
2000年5月のゴールデンウィークに事件は起きた。

佐賀を出発した西日本鉄道の高速バス「わかすく号」が17歳の少年によってハイジャックされた。
21人の乗客を人質に取り、山口・広島まで立てこもったまま進んだが、約15時間後にSATの突入により逮捕となった。加害者少年に牛刀で何度も切りつけられた女性が1名死亡、けが人もでている。
この事件は少年が、精神科に入院していたこと、犯行前に2ちゃんねるに書き込みをしていたこと、いじめにあっていたということ、高校を自主退学後引きこもっていたこと、など社会風潮的な要素を持っていたこともあり、かなりネットで話題となった。
突入・逮捕時には、ニュースで中継で放送されていたこともあり、その点でも認知度の高い事件ともいえる。



~~概要~~

佐賀市内の営業所を発車するところから乗り込むという計画的犯行であった。
さかのぼれば、母校を襲うことを計画していたのであったが、ゴールデンウィーク中ということで、矛先が別に向いてしまったということである。
突発的に行動したのではなく、計画的だと見られているものの統合失調症的な乖離状態にあったとして、医療少年院送致という判断になった。

この事件は、防ごうと思えば防げたかもしれないと、世間に非難された理由としては、加害少年が精神科に入院していたことがあげられる。
進学校に通っていた少年は、知識もあり、頭の回転も速く、どのように病院で過ごしていればいいかを分かっていた。反抗することもなく、まじめな青年を演じていた。しかし心の中では、入院させた両親を恨み、医師をも恨んでいた。
バスジャック2日前に起きた愛知県豊川市の「主婦殺害事件」の加害者が同じ年の少年であったことが、この加害少年の心を高揚させてしまったのである。その点については、入院先の手記にしるしてあるものの、病院側が気づかなかったというお粗末な見落としがあった。
走行中に窓から逃げ出して、早くに助かった乗客もいる反面、そのことで少年が激高し、牛刀で何箇所も刺されて失血死する被害者がでてしまったという悲しい事実がある。

また、この事件で日本で始めて「フラッシュバン」といわれる手榴弾が使われた。外からようすを伺っていたSATが、人質と犯人の距離が開いた隙に投げ込んだ。煙と光によってかく乱させることが出来、その使用状態はニュースでも流された。


~~時系列~~

☆少し前からさかのぼってかいています。

1998年(平成10年)3月
高校受験前のある日、少年は数人の友人に「飛び降りてみろよ」と言われて校舎2階の階段の踊り場から飛び降り、腰の骨を折ってしまった。いじめという意見が大半の中「あの踊り場はみんなよく飛び降りていて、当日も彼と仲の良かった数人が先に飛び降り、最後に彼が残った。降りた子が彼の筆箱を見せて『飛んだら返す』とは言ったけど、いじめとかそういう感じじゃなかったという同級生の話もある。どちらにしても、重症を負ったことはまちがいなく、入院先の病室での高校受験となった。
母親はこの件を「いじめ」と見なしており、学校へ足を運び相談をしていた。
受験に合格したものの、本人の希望している学校ではないワンランク下の学校であった。このことについて、かなりの劣等感・屈辱感をもっていたようである。

1998年(平成10年)4月
進学校にすすむも、わずか9日間通学しただけで不登校になる。

1999年(平成11年)5月
不登校が続いていた高校を自主退学する。
家庭内暴力が始まる。ペットへの暴力もあり両親は、加害少年にカウンセリングを受けさせるなど、外部に救いを求めるようになる。

8月
両親にパソコンをせがんで買ってもらう。このころから引きこもりに拍車がかかり、部屋に鍵をかけるようになった。よく見ていたのは、死体・警察・殺人などのサイト。

また、父親にドライブに連れて行ってもらいたいと頼むようになった。かなり距離がある場所でも、父親はできる範囲でドライブに連れて行っていた。

2000年(平成12年)2月
年明けから、ますますネットにのめりこむようになった。見るだけではあきたらず、2ちゃんねる掲示板に書き込みをし始める。ハンドルネールを使い、暴言を書き込んでいくが次第に相手にされなくなっていった。

3月4日
部屋の掃除をし、出た大量のゴミを父親と焼却しに出かける。その隙に部屋に入った母親が本音を書き綴った息子のメモを見つける。メモには犯行声明文を出したことと、すべてを終わりにしたいというようなことが書いてあった。すべてをおわりにしたいと思ったことは事実のようで、焼却したゴミは、卒業アルバムや文集などの自分の歴史や思い出のものであった。

3月5日
少年のリュックの中に包丁などの凶器があることを母親が発見する。警察・行政・医療機関に相談し、やっと受け入れてくれた精神科の閉鎖病棟に入院することになった。しかし、本人の理解は得られないままの入院措置だった。

3~4月
母親が面会に行く度に、冷静であったり激高したりと、一定していなかった。

4月26日
入院後、初めての外出許可をもらう。自宅に帰りゲームなどをして病院に戻るが、このときにカミソリを没収されている。(閉鎖病棟では、外出・外泊から戻った際には、所持荷物を確認する)

5月1日
愛知県豊川市で17歳の少年が母親殺害する事件が起きる。すぐに逮捕されたものの「人を殺してみたかった」と語り、反省が見られなかった。

5月3日
外泊許可がおり、午前中に自宅に帰る。病室で書いていた「反抗宣言」の続きを自宅でもノートに書き記す。

5月3日
12:18 2ちゃんねる掲示板にハンドルネーム“ネオむぎ茶”で書き込みをする。「ヒヒヒヒヒ」

12:20 包丁をいれたリュックを背負い、自宅を出る。

12:56 高速バス「わかすく号」に乗り込む。

13:35 少年は座席を立ち、バスジャック宣言をする。バスは大宰府インターを降りずに山口方面へ進んでいく。

14:47 女性がトイレのためバスを降りた際、警察へ通報をする。

15:35 走行中のバスから女性が飛び降りて、脱出する。

16:09 少年が、携帯から警察へ電話する。必要なものや東京へ行きたい旨を話す。

16:20 男性が、減速中のバスから飛び降りて、脱出する。直後、68歳の女性が牛刀で刺される。


16:24 男性4名が解放される。

17:50 東広島市の山陰道奥屋パーキングエリアで、警察の誘導により停車する。

19:25 女性数名が解放される。このとき、刃物で切りつけられた女性の死亡が確認される。

21:37 再び、山陰道へ入る。

22:02 小谷サービスエリアで停車し、バスの給油をする。

23:00前後 少年の両親が到着するが、説得を試みることはせず、入院時の担当医師が説得を行う。

5月4日
05:05 隙を突いて突入、逮捕となった。

5月31日
少年の精神鑑定の結果が出る。

6月6日
広島鑑別所を経て、佐賀少年鑑別所へ収容される。

9月29日
佐賀家庭裁判所第4回審判において、5年以上の医療少年院送致が決定された。

2004年
乗客22名中18名に対して少年の両親が謝罪し、示談が成立している。

2006年
少年が仮退院し、社会復帰に向けて保護観察中ということが判明した。
また、バスを運転していた男性は、今もPTSDに苦しんでおり、通院をしている。


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