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The Great Attic Escape

語録

自由でないのに、自分は自由だと思っているものほど奴隷になっているものはない。
(ゲーテ)

広告費は必要か?

近年、世の中には無料のサービスがあふれている。とくにネットの世界ではそうだ。このアメブロだって無料で使わせてもらっている。


しかし本当に無料なのだろうか?そんなうまい話があるだろうか?


アメブロが無料なのは広告収入(一部有料会員もあるが)で賄っているからである。Googleのほぼすべてのサービスが無料なのは広告収入により運営費を稼いでいるからである。そして広告費を払うのは広告主である企業だ。広告を出すからには、その企業は必ずなんらかの商品やサービスを販売している。


企業というものは広告宣伝費を製品価格に転嫁し販売する。つまり、我々が購入するすべての商品に広告費が上乗せされているのである。広告費を使えば使うほど製品価格は高くなる。


アメブロが無料なのは、Googleが無料なのは、元をただせば我々が広告主の商品に支払った代金を元手にしているからである。つまり結局は商品を通して我々はサービス料を支払っているのである。なにもないところからは商品は生まれない。決して無料で使っているわけではないのだ。


もし広告費がなかったら、我々は商品をもっと安く買えるだろう。


それでは広告費は無駄なものなのだろうか?


広告費に投資されたコストは、製品やサービスの品質を上げることはない。反面、製品やサービスの価格を押し上げる。もし、広告費を一切かけずに製品が売れたとしたら、その分を製品の品質向上や、低価格へと反映できる。


日本の有力企業4,600社の広告宣伝費総額は、年間約3兆3千億円ほどもある。これだけのカネを製品開発に投入したのならば、すばらしい製品ができるのではないか?もっとよい世の中になるのではないか?


否。企業間の競争というものはいかに良い製品を作って、いかにアピールするかにある。宣伝がなくなったら企業間競争はなくなってしまうだろう。だとしたら結局は消費者にとって、ひいては社会にとってマイナスである。


マーケティングや広告宣伝を通し、いかに製品を必要としている消費者にアピールするか。そして、企業が切磋琢磨するなかで製品を磨き、その力が社会を発展させていく。そこにこそ広告宣伝の存在意義の本質がある。

自分の腕を餌にして巨大魚を捕まえる

ソメイヨシノは全部同じ木?

木下英範のブログ-桜


今日は都内のほとんどで桜が満開になりましたね。でも一週間くらいしたら散ってしまう短い命です。そのはかない風情が日本の文化に似合っているから人々に愛されるのでしょう。よく観察していると咲き始めた頃は花びらは薄紅色ですが、散る頃になると真っ白に変わっていることがわかりますね。


ところでソメイヨシノはすべて同じ木から接木で作られたことをご存知ですか?ソメイヨシノは自分の花粉を自分のめしべにつけても種子を作らない(自家不和合)ので、接木で増やすしかないのです。よってすべてのソメイヨシノは同じ木なんですね。他に、りんごの「ふじ」や梨の「二十世紀」もすべて同じ木から作られたクローンです。


ソメイヨシノは江戸時代末期に「オオシマザクラ」と「エドヒガン」という品種を交配させて作られました。エドヒガンという桜は葉を出す前に花が満開になるという性質を備えていました。オオシマザクラは花が大きく見ごたえがありましたが、しかし葉っぱも同時に出てしまうため、少々見栄えがしないところもありました。そこである植木屋が2つを掛け合わせて花が大きく見栄えのする桜を作り、桜の名所吉野山にちなんで「吉野」という名前で売り出したところ、これがヒットしたというわけです。後に学名「染井吉野」と命名されました。


最近、JR駒込駅の発車ベルが「さくらさくら」のメロディーに変わりました。なぜかな?と思って調べてみたのですが、その吉野を開発した植木屋(伊藤伊兵衛政武と伝えられています)が現在の東京都豊島区駒込にあったということです。駒込はソメイヨシノの発祥の地だったのですね。


※このコラムは2005/04/10に他ブログで執筆したものです。


業務説明の義務

現代社会では専業化が進み、自分の仕事がなんの役に立っているかわからなくなる。気がつけばおカネのためだけに働いている。これがいやいや仕事をする人が増加する根因だ。だからこそ監督者はその仕事を何のためにやっているのか、どんな社会的意義があるのかを常日頃から説明する義務がある。

パルクール - 鬼ごっこ(高レベル)

パルクールは特別な道具を使わず自らの肉体だけで障害を跳び越え、攀じ登り、またその上から飛び降りながら移動する移動技術体系である。その性質上エクストリームスポーツに分類されることが多い。しかし、パルクールは「The Art of Movement」とも呼ばれ、エクストリームスポーツではないという考え方も存在する。また、スポーツや哲学などの幅広い側面を持っている。パルクールにおける障害物は壁やレールなど人工物が多く、その練習は主に都市部で行われる。パルクールの実践者はトレーサー (traceur) と呼ばれる。(Wikipedia)





知的財産を資本投下する

資本主義というのは資本を持っているものが強いシステム。では資本とは何なのか。事業をする元手であって、つまりはおカネであるが、現代においては情報・スキルも資本である(知的財産)。だから、情報やスキルを投下して、さらに情報・スキルを得るというやり方も十分に資本主義において有効である。むしろおカネというのはこれらが形を変えたものに他ならない。

スカイダイビング - パラシュートなし

おカネの歴史⑧ - 江戸時代の改鋳

江戸時代の改鋳


江戸時代を通して三貨制度(金、銀、銭)の下、運営された貨幣ですが、代表的な改鋳が3回あります。
①元禄・宝永の改鋳
②正徳・享保の改鋳
③元文の改鋳
です。


元禄・宝永の改鋳


まず「元禄・宝永の改鋳」ですが、目的としては「市中の貨幣不足」と「幕府の財政難」を改善させるため断行されたものです。


『五代将軍綱吉による豪奢な生活や各地で発生した大火・風水害などを主因として支出が急膨張したためである。このような通貨不足への対応や幕府財政の建て直しを狙いとして、元禄期以降、金銀貨の品位(金銀含有率)や量目(重さ)を引き下げる貨幣の改鋳が実施された』(貨幣博物館)


『元禄小判は、大きさや重さはそれまで流通していた慶長小判と変わらなかったが、品位は約57%と慶長小判(84~87%)の3分の2にまで引き下げられた』(貨幣博物館)


とあります。おカネの発行体というのはおカネをいくらでも作れるわけですから、常におカネをもっと作りたい衝動と隣り合わせです。ですが小判というのは金という素材価値を担保としたおカネです。金そのものが稀少で、製造に費用がかかるので容易には大量生産できないわけです。そこでバランスされています。ですが、金の含有量を減らすという手があります。


幕府からしてみれば、素材価値の低いものを作って今までと同じ額面で放出するのですから濡れ手に粟で儲かりますね。貨幣の素材価値と額面を自由に設定し、それで自分の懐具合も調節できるというのは、統一貨幣の鋳造権を握ったものの特権です。しかし3分の2の価値しかないものを今までと同じ価値で扱えというのですから、これは結構強引です。これが通ってしまうというのは幕府が強大な軍事力と、それを背景にした信用力を持っていたといえるでしょう。


ところがこのように価値の薄いおカネを大量に作り続けたらどうなるでしょう?インフレになります。すなわち、モノに対しておカネの価値が下がるのですから、モノを買う時にたくさんのお金がいるように(物価高)なります。生きていくために必要な食糧も容易に買えなくなるのですからインフレはまず庶民生活を直撃します。そして経済は荒廃してしまいます。


綱吉の贅沢はさておき、こう書くとまるで当時の幕府が物価や貨幣価値に無知で、自己利益のために暴走したと思ってしまうかもしれませんが、もちろん当時の幕府には物価・貨幣価値に対する明確な知識はあったと思います。当時改鋳を指揮したのは荻原重秀という人です。


『荻原重秀は、貨幣価値は金銀などの素材価値により裏付けられていなければならないとする金属主義が支配的な社会にあって、名目主義の立場から「幕府が信用を与えさえすれば貨幣は瓦でも石でもいい」とまで極論した。この考え方は、当時としてはきわめて斬新な発想であった』(貨幣博物館)


「幕府が信用を与えさえすれば貨幣は瓦でも石でもいい」まさにその通りです。この人センスがいい。でもちょっと時代が早すぎた。そして対応を急ぎすぎたのだと思います。おカネというものは難しいものです。そして信用が人々の間に根付くには長い長い時間がかかります。


正徳・享保の改鋳


元禄・宝永の改鋳で失敗を見た幕府は、今度は小判の質を上げて量を減らす政策を実行します。


『将軍家宣は、事態の立て直しのためには金銀貨の質を高め、貨幣量を減少させるべきという儒学者・新井白石からの建議を受け、金銀貨の品位・量目の引き上げを決定した。そして、正徳4年(1714)、金貨の品位を慶長金貨(84~87%)にまで引き上げる改鋳が行われ、元禄・宝永小判二両に相当する品位 84%の正徳小判(武蔵小判)が発行された』


しかし今度はこれがデフレを招いてしまいます。米の値段が下がり、農民に打撃を与えます。また武士の給料も米で支給されていますから、米価の下落は給料の目減りを意味します。モノが売れなくなり、経済は停滞してしまいました。


元文の改鋳


貨幣の増量で失敗、今度は引き締めをしても失敗と、ますます窮地に追い込まれてしまった財政政策ですが、これを見事に立て直したのは八代将軍吉宗でした。


吉宗政権下の幕府は、享保小判の半分の品位の元文小判を鋳造します。つまり、貨幣価値の低下、流通量の増大政策です。ここで重要なところは、同じように貨幣価値の低下・増量を狙った「元禄・宝永の改鋳」と違い、「安くおカネを作ることで政府の財政を潤す」という直接的な財政政策ではなくて、「物価高を誘導することでデフレを脱却し、経済成長を通して、財政を立て直す」という遠回りの政策です。つまり、量的緩和を通して物価を安定的に回復させるという現代的な政策です。


『新旧貨幣の交換に際しては旧小判1両=新小判1.65両というかたちで増歩(ましぶ)交換を行う一方、新古金銀は1対1の等価通用とした。この結果、旧金貨保有者にとっては、旧貨をそのまま交換手段として利用するよりも、増歩のえられる新金貨に交換のうえ利用するほうがはるかに有利となった』(貨幣博物館)


とあるように、幕府が身銭をはたいて割増料金を負担し、十分なおまけをつけて新小判を配ったのです。改鋳差益を狙っていないのです。しかしのちに好転した経済から十分な年貢が流入し財政は回復します。そうして元文の改鋳で制定された貨幣制度はその後80年も安定した経済を保ったというのですから、3度目の正直で大成功したのです。


  木下英範のブログ-各種小判

   写真左から慶長、元禄、宝永、享保、元文、万延の各小判 (貨幣博物館より)



現在の小判の価値は?


余談ですが、古銭界では小判はいくらで取引されているのでしょうか。日本貨幣カタログ によると、家康が作った「慶長小判」がおよそ1枚二百万円。江戸末期の「万延小判」は一枚15万円。もっとも価値のあるものは秀吉が初めて作った大判「天正菱大判」で、その価格はなんと一億円。かなり希少なものなのでしょう。貨幣博物館でも天正大判だけはレプリカでした。


それでは現在我々が使っているおカネが400年後に残っていたとしたらどのくらいの価値を持っているでしょうか。コレクション的には意味があるかもしれませんが、少なくとも一億円はしないですね。今のおカネはただの紙ですから。それと、当時はバラマキがはやっていたのでいっぱいあるから価値ないよ。なんていわれてしまうかもしれませんね。


金には時代を超えた強さがあります。金のセールスマンがその不変の価値を表す時に使う文句があります。「中世は1オンスの金で大人の衣服一式が買えた。今は同じ1オンスの金でスーツ一式が買える」と。人類が地球に住んでいる限り、金は稀少であり続けるでしょう。


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      天正大判