木下英範のブログ -6ページ目

新しいミュージックビデオの形?

http://soytuaire.labuat.com/

ナイスデザイン

テキストを映像に変換 - T2V Player

T2V Player


テキストを入力すると、3Dのキャラクタが読み上げる映像に変換してくれるツール。ジェスチャーなども指定できてなかなか面白いです。いろんなテキストを真面目に読むので笑ってしまいました。完成した映像はwmvファイルとして出力できます。


ブラウザ上のサービスでないところが玉に瑕。アプリケーションをインストールしなければなりません。できればAnimoto みたいにブラウザOnクラウドで完結しているとGoodですね。それからwmvにエンコードするときに音声をアナログで録音しなければならないのが。。まだ実験段階なのでこれからに期待です。

開発者ブログ
http://rinseiki.cocolog-nifty.com/blog/


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http://www.rbbtoday.com/news/20090317/58648.html

価格なしレストラン - 新資本主義の一端?

CNN.co.jpより

http://www.cnn.co.jp/fringe/CNN200903210001.html


オハイオ州にある「ジャバ・ストリート・カフェ」ではメニューに料金の設定はないそうです。料金はお客が決めるシステムで、満足度に応じて自由に支払いをするのだそうです。これでは払わない人が多くてすぐにつぶれてしまうのでは?と思いきや、実際には店を維持できる価格が支払われるそうです。


そういえば以前に雑誌「オルタナ 」でも同じようなレストランが紹介されていました。たぶんこれ「カーマレストラン 」。これもお客が料金を決めるシステムで維持できています(たぶん今でも)。


料金を設定せずに完全に客まかせで商売が成り立つというところが非常に経済的に興味深いですね。この形式は売り手と買い手が対等な感じがします。売り手が必要以上に買い手に媚を売る必要がないし、買い手は必要以上に威張ることはないわけです。この形式が多数派になった場合に成り立つかどうかはわかりませんが、なにか新しい潮流の一端をのぞかせているような気がします。

海外面白CM



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羊の群れでPongゲーム:動画 - WiredVision

冷たい水はより低きに流れる



木下英範のブログ-雨と川


「私は今日から寂しがり屋さんになります」

 

「人は誰でも寂しがり屋さ。

寂しさを売って慰めを買う」

 

「結局貴方は自分が可愛いだけでしょう?」

 

「"己を愛するがごとく、汝の隣人を愛せ"

これはつまり、

隣人を愛するには、まず自分を愛さなきゃいけないってことさ」

 

「自分の愛し方を探しているうちに死んでしまいます」

 

「君は泣いた事がないのか?」

 

「雨の降らない大地に咲く花はないっていうの?」

 

「ああ、植物図鑑はないか?こりゃ今すぐ調べなきゃ。

もし本当にそんな花があるなら僕は・・・」

 

「そんなの私には関係ない。

水は低いところへ流れるだけ。

海につく頃には雨だった記憶なんて・・・。

人は強くなると、弱さの美しさを忘れちゃうのね」

 

「僕は、悪い事をした記憶がない。

でも、良い事もしなかった。弱い人間なんだ」

 

「うそつき」

語録

「仮に或る人が待合へ行って芸者を招んだり、贅沢な料理を食べたりして二千円を消費したとする。その金は転々として、農、工、商漁業者等の手に移り、それが又諸般産業の上に二十倍にも三十倍にもなって働く。故に個人経済から云えばに千円の節約をすることは、其の人にとって誠に結構であるが、国の経済から云えば同一の金が二十倍にも三十倍にもなって働くのであるから寧ろそのほうが望ましい訳である。ここが個人経済と国の経済との異なっている所である」

(高橋是清)

世界を作る男

おカネの歴史⑦ - 江戸時代の三貨制度

天下を統一した徳川家康は、江戸幕府を開くと直ちに貨幣の策定に取り掛かりました。慶長貨幣と呼ばれるものです。政府による全国共通貨幣の鋳造は、朝廷貨幣の衰退から650年ぶりのことでした。


慶長貨幣は3種類の幣種で構成されていました。すなわち金貨、銀貨、銭貨の3種類で、このことから江戸時代の貨幣制度は「三貨(さんか)制度」と呼ばれています。


まず金貨は計数貨幣であり単位は「両」です。金貨は小判と大判に分けられます。小判は1両、大判は10両です。さらに小判よも小さい一分金があり、これは1/4両です。さらに小さい一朱金というのがあり、これは1/4分です。すなわち金は4進法で数えます。


大判は普段市中に出回ることはなく、恩賞としてお上から授かったり、儀式で用いられたようです。10両とあるのは名目上の額面で、実際には大判1枚=7.5両前後で取引されたとのこと。


次に、銀貨は秤量貨幣であり単位は「匁(もんめ)」です。丁銀と呼ばれるナマコ状の延べ棒と、豆板銀と呼ばれる豆粒状のものが作られました。銀は取引額に応じてその場で切って重さを量って使われました。これを「銀の切り遣い」と言います。


銭貨としては「寛永通宝」が発行されました。単位は「文」です。一枚=1文であり、大量に使うときは中央の穴にひもを通して束ね、1000文で1貫文と言いました。


注目すべきは3種類の貨幣において「単位」も違うということです。これは今ではほとんど考えられません。しかし、なぜこのような3種類の通貨単位が混在する複雑な体制になったのでしょうか。それは戦国時代の動乱の名残りだと言えるのではないでしょうか。長い間貨幣の統一制度がないなかで、各地で様々な独自の制度が発展していました。それをまとめるには天下を統一した家康といえども容易なことではなかったはずです。金貨は武田氏が考案した「甲州金」の制度を引き継ぎ、銀貨は大阪商人が外国と取引に使っているため、廃止するわけにはいきません。また銅貨は庶民が愛用していた永楽通宝をそのまま引き継いだ形です。


江戸幕府としては金貨に統一したかったでしょう。金貨は計数貨幣であり、中央が容易にコントロールができるからです。しかし、国民に受け入れてもらわないことには全国統治はできません。それに無理に制度を硬直化し、経済が停滞してしまっては年貢が入らず、幕府は潰れてしまいます。なので仕方なくこのような複雑な制度にせざるを得なかったといえるでしょう。


このような複雑な貨幣制度から、江戸時代には両替商が繁盛しました。一応幕府からは、金1両=銀50匁=銭4貫文という交換比率のお達しが出されていましたが、両替商の仲介により変動相場を形成していました。これは経済歴史学的には非常に興味深いことです。


また、「東の金遣い、西の銀遣い」という言葉があるように、江戸周辺では金貨が使用されることが多く、大阪周辺ではおもに銀貨が好まれました。というのは、大阪では中国や朝鮮など諸外国との貿易を行っており、外国との取引においては素材価値を担保にした貨幣が有効です。そこで秤量貨幣である銀が好まれたというわけです。


当時の小判一枚=一両はどのくらいの価値があったのでしょうか。江戸時代は大変長く、また豊作や飢饉などによって物の値段もかなり変動していましたので難しいのですが、江戸時代を通して平均をとってみると、大工の年収が20両くらい、下女(お手伝いさん)の年収が1両~2両だったようです。大工は民間の中では最高級の職だったことを考えると1両=50万~100万くらいでしょうか。ですから小判を庶民が普段目にすることをめったになかったでしょう。


庶民においては、普段少額決済に使うのは銭貨。ちょっといい服などを買うときは豆板銀。店にきた武士がたまに一分金で支払いをしていく。家を買うときには小判を使ったでしょうか。豪商になると小判を紙で包んでまとめたり、箱に入れたり、まんじゅうの下に入れたり?したことでしょう。



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【参考文献】
日本銀行貨幣博物館
コインの散歩道(しらかわ ただひこ)


ライオンと仲よすぎる男

すべての人は事業家である

すべての人は事業家である。すべての人は一代事業を行っている。生まれてから死ぬまでどういう仕事を選び、どういうポートフォリオ(バランスシート)を形成していくか。すべて自分で選ばなければならない。