板橋パンギョ散歩 鍾板路沿いの旧駅前〜旧劇場〜鍾板路〜旧板橋面事務所 | 全羅北道・全州と忠清南道・扶餘プヨでどきどき|ありりんの人生の旅はゆったりと

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韓国全羅北道道知事賞受賞、全羅北道国際交流諮問官

趣味の古い街並(一部廃墟)散歩にコメントやFacebookなどでたくさんコメントをいただき有り難うございます。ううっ、うれしい。。。!おだてられると木に登る タイプ。調子に乗って本日も忠清南道(チュンチョンナムド)舒川郡(ソチョングン)の板橋散歩をアップします。よろしかったらおつきあいください。


忠清南道(チュンチョンナムド)舒川郡(ソチョングン)に古い街並を残す板橋(パンギョ)を歩いてみました。板橋の概略は前記事で。Google mapにピンをさしたものもあります。
これ→ 板橋パンギョ散歩 ここはまるで日本の風景?長項線の駅と牛市場で栄えた町



新・板橋駅方向から旧駅目指し古い家が立ち並ぶ路地を行きます。どの家も雰囲気ありますね。




板橋駅がここにあったことをしめす唯一の看板「板橋駅前スーパー」



旧駅の小さなロータリーには日本家屋を改造したと思われる商店が。手前の土間部分はおそらく後で増築したものでしょう。



旧駅舎(1984年築)はすでに取り壊され、跡地に新しく作られた食堂の入る建物。昼時を過ぎたこの時間、人影は見せませんでしたが、数店舗が営業中。この建物の向こう側には廃軌道とホームが残っているはずなのに、見逃しました。フカク。



ロータリーから穀物倉庫が見える方向に進みます。



倉庫の向こう側に大きな建物が。これが旧板橋劇場。日本統治時代に建てられたものだそうです。



建物はかなり傷んでいて、一部表面のモルタルがはがれ、レンガが見えていました。現在はまったく使われておらず、いい感じに廃墟です。



劇場の隣にある穀物倉庫は名前が何度も変わったのですね。農協倉庫の文字の下になんとか倉庫と書いてありますが、文字が薄くて読めません。建築時期不明。



向かい側にある板橋鉄工所もかなり古そうな建物。中を除くと天井から青空が見えたり。一応営業はしているようでした。ただぼろいだけか?屋根からすると日本風ですがね。明るい色の建物に少し気持ちが救われるような感じが。



その隣も日本家屋チック。2階部分だけあとで増築したのかもしれません。



突き当たりの道が板橋のメインストリート「鍾板路(ジョンパンノ)」。日本家屋満載。まずは左に曲がってみましょう。通りから見えなくて少し分かりづらいのですが、左に冷麺屋がある少し手前の右手奥に、旧・板橋面事務所として使われた建物が残っています。



昔はこのような姿だったそうです。(1963年に撮影された写真を許可を得て撮影しました。)正面に立派な玄関と階段が見えますね。



現在は玄関は塞がれ、階段とポーチも取り払われています。


私一人だったらここで引き返すところですが、そこが安さんのすごいところ。敷地の中を「けせよ?けせよ?」(いらっしゃいますか?ごめんくださいの意味)と言いながらずんずん入って行き、建物の中を見せていただくことができました。現在は建物は前で食堂を営む方の所有となっていて、倉庫として使っている(ほぼ使っていない)そうです。天井まで木造で所々傷んではいましたが、まだしっかりとした建物です。




先ほど左に曲がったところまで戻ります。右に曲がって右手に見えるのがこの風景。写真一番手前は「美容室ハマグリ」w



緑にペイントされた家がかわいい「板橋療養センター」。二階建てなのに隣のビルに比べるとかなり背の低い建物ですね。屋根が低いのが昔の日本家屋の特徴。



通りの向かい側にはやっているのかどうか分からない中華料理 スター麺?専門店「東生春」の看板が地味にいい感じを醸し出しています。下のメニュー表からすると既に廃業か?



鍾板路の突端、隣のプヨとつながる「大百済路」との交差点まで来ると、小高い山の上に古い教会。地元の人によると古い建物ではないとのことだけど、そうかなぁ~?結構古くて素敵そうでしたが、時間切れで近くまでは行かれませんでした。次回の課題。



ちなみにこの交差点にはバス停があり、舒川ターミナルとプヨターミナルを結ぶバスが走っていましたよ。ここで乗る人も数人いました。この路線バス乗ったことあるけど、こんなにステキな町の近くを通っていたとは知らなかったなぁ~。
これ→ 舒川バスターミナル時刻表 ソチョンからバスでプヨに行く



板橋について地元の人に話を聞きたかったのだけど、とにかく人が外にいないので、聞けないし、出会った人は割と若くて昔のことを知らない。町の成り立ちとか家の由来とか、昔のこと、もっともっと知りたかったのにそれが心残りな点です。

板橋散歩あと一回続きます。今回も長々と有り難うございました。またおつきあいくださいね。

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