ある本に出合ってから30年が過ぎた。忘れもしない1994年2月15日。
その日からぼくの人生は変わった。
当時私は19才。その日までずっと疑問を持って生きていた。
なぜ私はこうして生きているのだろうか?何のために生きているのだろうか?大学に行ってもやりたいことがないだろうなあ。と思いながら就職した。でも大学も行きたいかもなあ。とか思い、浪人みたいになっていた。やりたいことがなかったというか、何をやらなくてはならないのかがわからなかった。
それに出会うまでにいろいろな本を読んできた。何のために生きているのかを教えてくれる本に出会いたかった。
色んな本を読んできた。当時は大霊界ブームで、オカルトブームであり、なんと言ってもノストラダムスの1999年の大予言ブームでもあり、それに乗じての宗教ブームでもあったと思う。織田無道もブームだった。マスコミはそういうのを流し続けた。中学コースとか高校コースとかいう雑誌にも似たようなものが多くてヤバイ時期だった。月刊誌ムーにも座禅を組んだ人がジャンプなのか浮揚しているのかわからない写真も載ったりしていた。
◯◯の◯◯という宗教団体がテレビに流れまくった。
センセーショナルだったがその本はまだ読まなかった。
これから、いったいどうなるんだろうか?
これも、分かりやすく答えてくれる人はいなかった。世紀末が来るぞ来るぞと、あおるようなマスコミ、宗教家ばかりだったように思う。そのほうがテレビでも視聴率とれたのだろう。
完全に疑問が解けるまでの間にずいぶんと本を読んできた。
宜保愛子、丹波哲郎、細木数子、藤本憲幸、あと、◯◯の◯◯の、◯川◯◯、桐山靖雄、天理教の分厚いマンガ、
あと、奇門遁甲という占いの本3冊→これは寿命がわかるというもの。私は23~33才で寿命が終わるという結果が出ていたのはショックだった。
ほかにもタロット占いとかにもハマっていた。などなど。
それに姉がいて、あんた24才で死ぬからと言われていた。1999年でみんな死ぬんやって。と。
えええええええー!これが一番ショックだった。細木数子とタロットは姉の影響だった。
19才の1ヶ月目までにこれらを読んだのだが、運命の本に出会うまでこれらの本を読んで困ったことが起きた。頭がガンガンに痛くなってきた。とくにテレビ有名だった◯◯の◯◯の本は支離滅裂が激しいものだった。とにかく2週間くらい頭痛が続いた。
なんだこれは???
今思えば、教団霊というものが存在するらしく、それらによる頭痛だったようだ。
巷にある宗教団体にはほぼ9割以上、教団霊が存在するらしい。頭に霊的な、その教団しか受け入れさせない枷を被せてくるらしい。善良な団体もあるとのこと。
おいといて。
田舎の町立図書館に通いつめ、それらの本を読みまくっていた。
次の本に出会った。
とても解りやすく衝撃的でとても具体的で生きる本義も明快に教えられただけではなく、今世なにをなすべきか、世紀末はどうなるか、死んだらどうなるのか、自殺したらどうなるのか、、、中身が濃くて面白くて引き込まれた。
すべてが氷解した。これは前世から、いやもっと前世からずっと疑問に思っていた、なおかつ答えが教えられないまま何百年と問続けてきたなぞなぞの答えみたいなものが完全にたったの1冊に全部語られていた。なんだこれは。すごい。この人誰???繰り返し何回も読んだと思う。図書館の本で繰り返し読むのはかなり珍らしい。読み終わって、あれ?と思った。ずっと2週間ほど続いていた頭の痛みが消えたのだ。完全に。それだけではない、読み終わって席を立ったとき、身体の軽さが半分以下、3分の1くらいに軽くなっていたのだ。感覚の重さではあるけども。それが今も続いている。さらに、背中がブワーッと、温泉みたいに温かくて気持ち良くなった。なんだこれは。すごい。体感でもそうだけど、疑問が全部解けたことのほうが凄かった。読む毎に、頁をめくる毎に叫んでいたと思う。心の中で。
あの衝撃を越える本には未だに出会えていない。
もちろん本屋で注文して買い直し、手元に置いた。
私は今でもその本を大切に取っている。
その本は著者のデビュー作だったらしい。出版当時まだ著者は34才だったらしい。とても若い。なのにこんなにすごい本を書けるものだろうか? 聞くところによると、25才の時点でそれらの基礎はマスターしていて、そこからさらに9年の間実践させて出版されたらしい。
とにかく驚いた。叫んだ。すごい本を見つけたよ‼️と家族に友人に婿養子に来てくれた父親の父親の家に行き、貸したあげた。←この父方のおじいさんは生きてたときに閻魔大王に会って、おまえはまだやるべきことがあるから、帰りなさい。と言われて帰って来たらしい。
おいといて。
著者の名前は最初は図書館のラベルで背表紙は隠されていた状態で本棚にあったので最初はわからなかった。
タイトルは
神界からの神通力
という本だった。ここから私の人生に気合いというかエンジンがかかり始めた。
私の師匠との本を通じての出会いであった。