妥協を『知らない』 | PTイワマの探究日誌

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PT(理学療法士)イワマが
『人の心と身体を動かすセラピスト』としてどう歩むべきか考え、感じたことを記すブログです。

妥協というと
あまりいい印象はないかもしれません。


妥協とは
本来的には
複数の当事者間での意見のすり合わせ
落とし所についていうそうです。
Wikipedia参照)


双方が意見を譲らなければ
話し合いになりません。
この場合の妥協は
ある程度は必要になりますね。
意味合いとしては協調のニュアンスでしょうか。

少し日本的な感じもありますが
致命的な決裂を避ける意味では
ポジティブな妥協と言えます。



今回は本題として
妥協の派生的な用法である
『理想・願望に対する譲歩』
の意味について考えます。


理想が高いために
力及ばず妥協せざるを得ない場合ってありますよね。


リハビリでも
どこまでも理想を追い求めても
ほとんどの場合
限界があります。


今の力量ではできることに限界があるため
結果的に理想に対して妥協することになります。

理想を持ち続けているうちは
現実を理想に近づける意識が働くので
ポジティブな妥協と考えていいかも知れませんね。


一方、理想と現実にギャップがないと
妥協は存在しません。
手っ取り早くギャップをなくすには
理想を低くすれば事足ります。

これはどういう場合かというと
現実を改善する必要がない
現実を改善できる可能性を知らないかですね。
理想と現実が一致していれば妥協のしようがありません。


意外とリハビリでも多いように感じますが
目の前の仕事をほどほどにやっていれば
責められない場合や
疾患や症状で限界を定めてしまって
安易にゴールを作ってしまう場合が
これにあたります。

こうなってしまうと
妥協の概念自体がないので
(悪い意味で)妥協を『知らない』ことになります。

こういう場合は
形式的には妥協していませんが
客観的には妥協と取られても仕方がないですね。


「自分は妥協していない!」

と思っても
理想の描き方
可能性の追求が曖昧だと
妥協を『知らない』だけ
なっているのかも知れません。


本日は最後までお付き合いいただきありがとうございました!