これは、実は演技を生徒さんに教えている時にとても気になって指摘する事も多い部分なのですが、最近プロの俳優さん(主にTV)やナレーション、声優さんでも良く起こっており、大変気になっている現象です。
日本語というのは助詞という文法的な意味を持つ語を接着剤のようにして名詞や動詞などと繋ぐ、膠着語という言語です。
英語の前置詞に対し、日本語の助詞は後置詞という位置付けで、多くの場合で助詞の文法的意味はその前の語に掛ります。
助詞の中には格助詞と呼ばれる、前後の語の関係性を表す助詞があり、これらの格助詞は、その関係性によっては省略が可能です。
例えば
「私、明日仕事休みます」
は
「私は、明日仕事を休みます」
の格助詞「は」と「を」が省略されています。
こういった省略可能な格助詞は、無くても意味が通じるので、略さなかったとしても特別な文脈がない限り、前後の語より強く言うと不自然です。
芝居においては、立てることで別の意味を想起させてしまうため、客に不必要な情報を与えることにもなってしまう上に、その意味が不要なものだと分かりやすいものについては「素人くさい芝居」に映るため、レッスンでは注意して不要な助詞立てをしないよう、気を付けて指導しています。
省略出来る助詞を立てた時に生まれてしまう別の意味とは、例えば「を」の場合「私が休むのは仕事であって、他の何物でもありません」というような意味合いが乗るという具合です。
ちなみに「は」の方は「私」ごとセットで略して問題ありませんが、略さない場合「は」を強調してしまうと「他の人は休まなくても私は休みます」と言う意味合いが乗ってしまいます。
もちろん、文脈によって立てた方がいいシチュエーションもあるでしょうが、そのような文脈に無くその意味合いが不要な情報となる場合は、立てることにより「台本を良く読めていない(文脈のある無しが理解できていない)」であったり「いかにも台詞を読んだだけの素人芝居」と映りやすくなります。
この、助詞を不必要に立てるという現象は、芝居素人に起こりやすいというのも事実です。
台詞をしっかり表現しようと意識し過ぎてしまい、本当に伝えるべき情報ではなく、不必要なところを立ててしまうのはキチンと言語を学んだことのない人には比較的良く起こります。
おかしな節を付けてしまうのと少し似ています。
おかしな節回しとは、通常のイントネーションとは違うイントネーションのことです。
通常、日本語のイントネーションは自然下降と言って
、トータルで言うと高い音から低い音に落ちていきます。
疑問文は文末が上がります。
文章の中で細かい上下はあってもトータルではこの自然下降です。
お芝居での台詞回しは、セリフを歌う必要がある時もあります。
例えば、時代劇での渡世人の仁義や、歌舞伎なんかも普通に喋るのではなく歌うような節回しをする事がありますが、これを「セリフを歌う」と言います。
そう言った芝居や場面でない限り、余計な節回しは極力避けます。
通常立てない助詞を立てる事によりイントネーションとして不自然になる現象を悪い意味で「セリフを歌う」と言うこともあります。
セリフの中でその時の展開に大きく関わるキーワードや、コメディであればその後の笑いに関わるフリになる言葉など、お客様が聞き逃してしまうと楽しめない大切な情報というのもありますので、その言葉を印象付けるという意味でその語を「立てる」または「粒立てる」必要があることもあります。
そのように演出家が指示することもありますが、私が教える時には、台本を読む時にそこまで読めるようになることを目指しています。
特定の言葉を立てると言っても、必ずしもその言葉だけ強くいうという事ではありません。
私達が普段の生活でもやっているように、その語の前に間を作ったり、その語をゆっくり言ったり、あえて声をひそめたりと言った手法も取ります。
これをプロミネンスと言いますが、その状況や演じるキャラクター等を考慮し、どういった手法を使うか選ぶのも役者の腕です。
その演技上で必要なプロミネンスを正確に理解していないと、セリフにおかしな節回しが付いたり、変なところを立ててしまったりします。
そのへんなところを立てておかしな節回し、悪い意味でセリフを歌っているように聞こえる代表例が、不要な助詞立てなんです。
演技を勉強している人には本当に気をつけて欲しいポイントですが、TVのナレーションでさえこれが散見されるというのは日本の芸能界が、言葉を専門とする分野でさえ、国語に無断着である証左であろうと思います。
最近は出版物でさえ助詞の間違いが目立ちます。
もしかしたら、普段間違えて使っているがゆえに、台本に書かれた助詞に違和感があり、そこに意味があるように感じて立ててしまう人もいるのかも知れません。
とはいえ、言葉で何かを伝える時に重要なのは、文法的な意味を示す助詞よりも、名詞や述語の方である確率が高いのは日本語に限った話ではありません。
日本語のような膠着語の要素も併せ持つ英語が、日本人には最も分かりやすい外国語だと思いますが、英語に慣れていない人は、英語話者が強く発音しない語を聞き取ることが出来ず、これを無理して何とか聞き取ろうとすることで全体を理解出来なくなることということが良くあります。
英語では、基本的に推測可能な語は強く発音しません。つまり立てる必要のない語は立てない。
例えば
「I'm going to shcool」
と言う時の「to」はかなり弱く短く発音されます。
これは、聞こえなくてもこう言っていると容易に分かる(この文章で「to」の位置に入り得る前置詞が他にない)からですが、この「to」という前置詞が、日本語の助詞に当たる部分です。この「to」を他の語より立てられると、文章の内容よりも、何故強調したんだろう?という印象を強く与えます。
日本語にすると
「私は学校に行く」
を
「私は学校"に”行く」
と言うようなもので、日本語でもこの文章で「に」だけを立てることには全く意味がありません。
「私」「学校」「行く」が聞こえれば意味は十分推測できるからです。
意味のない助詞立てがいかに奇妙な現象であるか分かると思います。
これから演技の勉強をする人や、今やっていて台詞回しがおかしいと注意されることのある人は、この不要な助詞立てをしてしまっている可能性がありますので、少し気にしてみてください。
なお、節回しを注意される。
セリフを歌うなと言われることのある人は、無意味な助詞立ての他にも、先に書いた自然下降イントネーションを意識してみてください。
セリフを言う時に文章のアタマの音が低く、そこから音が上がるように、クレッシェンドするような話し方になっている人がそういった注意を受けやすいです。
私も生徒さんにこの点を注意することが少なくありません。
日本語の自然なイントネーションは、文の頭が最も高く、最後が最も低い。
間に小さな波はありますが、冒頭より音が上がることは稀。
この自然なイントネーションを無視すると、不自然であるが故に、いかにもセリフを言っている感が生まれてしまいます。
これが素人くさい台詞回しです。
先月出演した舞台でも演出家に
「芝居では名詞と動詞を立てる」
と指導された若手がいました。
若手がこの罠に陥りやすいのは、演技であることを意識しすぎてセリフを喋っているせいだと思います。
普段の自分はそんなイントネーションで話しているのか?
もししている場合は、自分の周りは皆そんなイントネーションで話しているのか?
と言うことを見直してみると良いと思います。
初めの方で「声優さんにも」と書きましたが、私は漫画もアニメも好きなので良く読んだり見たりする方です。最近見た物の中では『葬送のフリーレン』のデンケンのセリフにこの不要な助詞立てが目立ちました。
目立ったというのは、ずっとそう話しているわけではなく、たまにピョコピョコ文脈上不要な助詞立てがあったので、落ち着いた話し方だけに目立ってしまったと言う意味です。
素敵な声でしたが、恐らくデンケン程の年齢ではない、デンケンよりはかなり若い方が演じていたのではないかと感じました。
デンケンの年齢と宮廷魔法使いと言う、雰囲気的な重厚さを表現しようと意識しすぎていたのではないかと思います。
あれだけ素敵な声ならプレーンに話した方が重厚感が出るのですが、文脈的に不要な助詞立てが目立った為、声的に若手であることはなくとも、デンケンよりはかなり若い人がやっていると言う印象を強く受けました。
この不要な助詞立て問題は、台詞を読む時に癖になってしまうと無意識にやってしまい矯正するのに時間がかかるので厄介です。
若手の方は今から意識して、もししていたら絶対に直した方がいいですよ。