台風が近づいているので、既に雨が酷い。
そして、安定の偏頭痛。
頭痛くて目が覚めた。
今日はゲロ吐けるくらいまで痛くなる自信(←どんな自信だよ笑)があるので、速攻で薬飲んだ。
そろそろもう一錠追加するか、バックアップとしてロキソニンも追加するか考え中・・・
ああ”、明日も痛いのかと思うと憂鬱だ。
偏頭痛持ちの方!頭痛外来へ!この薬は効きます
さて、最近撮りためていた「コード・ブルー」を見まくっている。
コード・ブルーを最近見始めたときの記事。
学ぶことはたくさんある
人から学ぶことに上下も左右も関係ない - To be a Learner -
「第6回 落胆の向こう側」を観て、
『移植医療』について考えさせられた。
考えさせられたし、あまりにも簡単に「俺が脳死したら臓器提供して」発言していたな、って思ったよ。
このブログに来てくださる方はご存知かと思うが、、、
仕事は自動車のエンジンを設計すること。いわゆる、機械系のエンジニアってやつ。
エンジニアは"数字"が全てだ。1馬力でも、0.1%でも燃費を上げるのに心血を注ぐ。
どの仕様にするか、決心するevidenceは、やはり"数字"。
全てを数字化して、見える化して、これがbestです。誰もが納得する。
案外決定decisionは難しくない。
で、本題。
俺が死んで、他の人が助かるならいいんじゃない?
と簡単に発言していたけど、心では思っても言葉として出すべきではない。そんな簡単な話じゃない。
所詮ドラマだ、どこまでがノンフィクションで、どこからがフィクションなのかはわからない。
ただ、脳死判定された人が、移植に同意したとき、体から何もかも取り出されて、持っていかれるシーンが描かれている。
人からモノになったような気がした。
その時のシーンを何度も再生して、
「誰かの一部になって行き続ける、綺麗事だよな。誰かが死に誰かが生きる、これが移植医療だ」
このセリフを聞いて、ハッと思う。
誰かの人生が終わって、終わることを待っている人がいて、その引き換えに待っている人の人生が続いていく。誰かが死ぬことで初めて成立するんだよね。数字で判断すると、1人死んだ、でも例えば6人助かった、単純に数字だけ見れば、難しくない、6人助けられたのだから、数の原理からいうと正しい。
デジタルの時代だが、人間はデジタル思考だけではなくアナログ思考の一面もあり、数字では判断することが正しいのかな?と思う。必ず誰かが死ぬ、死んで初めて成り立つ。人の死って簡単なモノじゃない。ご存知、俺はクローン病。下血したり、入院したりするたびに、「生きたい」と願う。移植を必要としている人たちが「生きたい」と思うのは当然なんだ。ものすごい葛藤だと思う。生きたい、でも生きるためには、人の臓器が必要、すなわち誰かが死なないといけない。その上で、新しく生きていく。好きで病気になったわけじゃないのにな。
移植医療が間違いではないと思う。
現にそれで助かる人がいるんだから。
ただ忘れてはいけないことは、まず誰かの死があって初めて成立することなんだということ。
いつも数字にこだわるけど、これは数字ではないな。
数の原理では判断できないこともあるんだな、って改めて思った。俺はどこか全てのことをデジタル化して物事を判断していた気がする。でもそうじゃないよな、アナログな一面もあるのが人間であって、だから葛藤する。デジタルな思考は理論的に見える一方、簡単に残酷な判断を機械的にできる楽な方法かもしれない。
我々技術者は、人の臓器を作り出せるような技術力を身につければ、この葛藤はなくなる。俺はエンジニアとしてテクノロジーの進化を信じている。人々をこの葛藤から救い出すためにも、我々エンジニアたちの努力が必要だ。分野は違うが、我々だからこそ実現できることだ。1日でも早くその日が来ることを祈る。
p.s. この記事を書くのに5時間くらいかかった。言葉ではうまく表現できなく、駄文長文お付き合い頂きありがとうございます。
感謝の気持ち、誰に伝える?
自分と出会う全ての人、かな?
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