田中トシオのあったかぁい元気 -3ページ目

夢って心の叫び

小さい時から漫画家か鉄道員が夢だった

おとぎ話が中学のころまで漠然としていた

人に話しても せいぜい頑張ってねは他人事

 

実現するには沢山の悩み 自分で夢を掴むしかないことに気が付くが

貧しい生活環境は夢を見せてもらえなかった。

 

理容の仕事は望んでないので イヤで逃げだすことばかりで考えてたが

逃げ出す勇気さえもなかった。

 

でも限られた理容の環境の中で新たな夢を見つけた

いつか日本一、 笑われながら いつも心の中で叫んでた

毎日の叫びは17年間 心に響き諦めようとは思わなかった。

 

未来予想図は少し外れ

つい最近まで 若かったと思ってたのに。

長い間 超忙しく暇などなかったのに。 いつの間にもう喜寿、ヒマが取れたら夢は全国釣りの旅と食べ歩き

ゴルフ三昧、本棚には読んでない本が積んである。

しかし暇は作れたが想定外もある まず美味しいイクラやウニ、霜降りの肉などは病気の元

全国一周は子供にきつく運転は止められ 会員券18ホールは回れず買ったゴルフ場は倒産 

老眼の読書は目が疲れる 未来予想図は少し外れた。

 

60歳になったら講師定年 技術講習は一切やめて弟子たちにバトンタッチ

子供のころの夢だった漫画家か絵描きに遅ればせながら形を変えた新人

勝手に「絵ことば」作家は自称造語。

ただ弟子たちの卒業時には50年も前から励ましの色紙を贈ってたから古い。

 

絵はゆっくり描けるようになったし原画展は各地で開催できたし

店の経営は息子がしっかり引き継ぎ 一切の免倒は無くなった。

責任いらないのは理想 そこの未来予想図は当たってる。

 

病気などは高齢になれば当たり前 ちょっとつまづいた程度 

ゆったりして過ごす日々は予想通りの夢、

年をとることは悪いことばかりじゃない。

                            田中トシオ

 

 

熟成百年 いまだ未熟者

ウクライナには沢山の知人がいる。

横にも大きな女性の審査員は私摑まえては質問攻めしてくる。

理美容の学校の校長もしていて 私の拙著の本をプレゼントしたら ウクライナ語に訳し生徒に配ってくれた。

 

 また、ポーランド代表は私が直接何度も指導した選手が世界チャンピオンになり  

会うたびにお礼を言ってたが今 どうしてるか心配してる。  

 

フィンランドも10数回訪れたか゛ 最高の友がいた。

ある時郊外にドライブに連れて行ってくれた。

途中で見かけた建物に興味を持ち 聞いたらワイン工場だといった、

沢山製造してるが その中に100年寝かせてる特別なワインがあるという。

その杜氏は完成を見ることもなく次世代にバトンを渡し消えて行くと聞いた。

 

友の名はローランド トナカイの肉とウォッカが大好きで 酔っぱらうと硬いヒゲを押し付けてくる。

世界機構では私は改革案を出すが いつもtanakaのいうことが正しいと応援してくれてた。

北欧の人はみんな日本が大好きなのは顔役のローランドが紹介してくれてことも大きい。

私も世界機構引退して約10年 2度と会うこともできないだろうがやはり会いたいな。

 

世界も 日本も重なる事件や戦争でとてもブログを書く気にはならなかった。

早くコロナも戦争も テロもなくなるように祈るだけだ。

 

田中トシオ