田中トシオのあったかぁい元気 -4ページ目

梅雨入りの花

ジメジメ べとべとな季節

私は嫌いではない  この季節の花々が心をなごませてくれるから。

 

アジサイ 庭に大きな輪 花言葉は移り気 この色の時期の花が好き

緑から白へ そして少し淡い青色 その後大輪の濃い青に

ムラサキツユクサ 花言葉は二つ ひと時の幸せ 一日で花は枯れるから

もひとつは尊敬 次から次に新しい花を咲かせる

確かにつぼみが鈴なり

最近街中に繁殖してるドクダミ

 

名前で損してるがよく見るとランのように美しく 群生してると見とれてしまう

子供のころ ドクダミを積んでおばぁちゃんが干して漢方薬として飲ませられた。

ドクダミが咲くと水遊びの季節到来だった。

 梅雨で良いことは湿度が多いと空気中に飛散してるウイルスが飛散しない、コロナも生きていけない

細菌は生き生き 食中毒に気を付け梅雨空を楽しんでいきましょう

 

田中トシオ

原画展盛況裏に終了

沢山の応援ご厚意 皆様のおかげで大成功でした 本当に有難うございました。

コロナ禍で二度も中止になった原画展

自粛の間 [絵ことば]も多く描く事が出来た

私の作品は常に等身大の一人称 内容も変わってきた 若者には物足りずお年寄りには共感

 

中央理美容学校も授業の一環として校長先生始め総勢120 名の方が四つのグループに分かれて

お見えになりお祭りみたいでしたが じっくり観てくれました。

60 枚の新作 

誰でも時には心の中で耐えきれない暴風雨もあるが 下手にあらがうより嵐の通り過ぎるのを

待てばその後 青空になり清流も戻り穏やかになる。

数年間 又は15年ゼミのように土の中でじっと待つのもいる。

私は早朝の羽化をじっと眺めてる 穴から出て木に登り背中が割れて苦しそうに 

そっくり返り成虫となってく

 

子供は残酷 羽が乾くころ捕まえ持ち帰る 結局飼うことも叶わず死んでしまう。

ようやくお日様に出会い子孫を残す大仕事前に捕まり 完結させてしまった。

いくつの時だろうか 微熱の私をおんぶして畑に行った。

広くて暖かい母ちゃんの背中は極上空間だった。

子守歌は歌謡曲 75年位前でもその歌と温もりは今も鮮やかに覚えてる。

 

沢山の感動を頂いた原画展 毎日の方 何度も来てくれた方 私の言葉や絵をファイルしてる方

涙流して観てる方 60 の作品の中で一つ胸に刺さってくれたら開催した喜びになる。

田中トシオ

 

 

 

田中トシオ原画展五年IN聖跡桜ケ丘

京王線成績桜ケ丘 駅前京王デパート五階連絡通路ブリッジギャラリー

五月五日から10日までです。

ぜひお越しいただけれは嬉しいです。

私が大会で日本一めざしてた頃トイレにこの言葉を飾り毎日誓ってた呪文

 

日本はたとえ首相を批判しても 我がままいっぱいでも殺されることもない

それでも不平不満だらけ だが絶対に戦争の時代はあってはならない

世の中不景気と思うのはいつも同じ 中高年になっての再就職は難しい

床屋さんの一番良い所は生涯仕事探しはいらない

普通にやっていれば目立たないが決してつぶれない職業

生きていれば必ず心折れる大嵐や洪水が来る

どんなにあらがっても無理な時は 沈下橋のように洪水の通り過ぎるのを待てば良い

いずれ青い空や清流が戻ってくる。

父は20年も出稼ぎに出て 全国でダム作りしてた

年に二回位帰ってくるが 子供はその土産に大喜びしてた

母は泣きながら出迎えてた

喜怒哀楽 感極まるとダムは溢れ 涙のように放水する

子供のころは朝早く起きて セミの脱皮をずっと眺めてた

土の中で数年も待ってようやく地上に出てお陽さまに出会えた事は知らなかった

そんなセミをいっぱい捕まえてたが数日で死んでいた

子孫を残すため羽化したのに叶わない 子供は残酷だった。

 

  原画展 コロナ禍二回キャンセルになりようやく五年 陽の目を見ます

前回から すべて新作 こんな絵が60点展示してます。

以前のようにガンバレは少なく絵ことばはその時々の心の揺れのなかで描いてます。

 

私も5日、8日9日10日昼ころ 何回か顔を出しますが 恥ずかしがりや 多分陰に隠れてます。

担当者か私に連絡ください。顔出します。

問い合わせ 事前042  421  6511 多良 又は090  3239  1835 田中