橿原神宮の北神門から北参道→北の鳥居と一度県道に出てから神武天皇御陵に向かいました(この方が迷わないので)。
到着!
警備の職員さんはゼロ。
▼宮内庁の立て札
ざっくざっく。
深く敷かれた小砂利を踏みしめ歩いていきます。
雨上がりなのでズボンの裾はびしょ濡れです。
ざっくざっく。
おお!
森が途切れ鳥居が見える。
あれ、
東京の御陵のように鳥居をくぐることは出来ないようです。
鳥居は3基あります。
皇族拝所はだいぶ遠くですね。
自分が一般庶民だと思い知らされる瞬間。
分かっちゃいるけどw
円形で周囲100m高さ5.5mという陵はどこにあるのかよく分かりません。
大きな岩をくり抜いた手水鉢。
中のお水もキレイでした。
鳥居の御扉は手前だけ開いていて奥は閉まっています。
この場所から二拝二拍手一礼でおまいり。
すめらみくにいやさか!
神武天皇御陵の正式名称は
畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)。
壬申の乱の時に天武天皇が神武陵に使者を送った記録はあるけどその後は陵の所在が分からなくなっちゃったんだって(;;;´д`)
この場所を修復して神武天皇御陵と定めたのは幕末そうです。
お次はいよいよ御陵印を。
▲畝傍陵墓監区事務所
奈良県、三重県、岐阜県、愛知県、静岡県内の陵墓を管理しています。
「すいませーん、御陵印をいただきたいのですが~。」と職員さんにお願いすると、
御陵印の箱を開けてくださいました。
30個も!
朱肉が四種類も用意されてます。
印面の奥にこびりついた埃と朱肉をヘラで掻き出しながら持参したメモ帳にペッタン。
ん~、かなり汚れていて手は朱肉で真っ赤に(∩´﹏`∩)
許されるなら石鹸とブラシで御陵印を洗いたい。
こそこそこそこそ作業しながらかなり長い時間お邪魔していたと思いますw
▼第40代 天武天皇 第41代 持統天皇(左)
御朱印帳に押したのはこれだけ。
メモ帳にはもっとたくさんいただきました。
御陵印専用の帳面作るべきだろうか。
124頁もある帳面を持ち歩くのもアレだし
即位された順番を間違えたらおおごとだし。
なんか大変そう。
警備の方の詰所は広々して居心地良さそうでした。
在位:前660年~前585年と神さまそのものな初代天皇の御陵は割と気楽に参拝できるところでした。
「畝傍山」が読めず帰りにiPhoneアプリの路線案内で現在地を入力出来ず苦労したのはここだけの話w