JR福山駅南口から鞆鉄バス⑤鞆の浦ゆきで30分。
終点の鞆の浦バス停下車、徒歩10分です。
バスが少ないので到着したら帰りの時刻表をチェック☆
▲バスから見た福山市内
鞆の浦は海がキレイらしいんだけど、
この日はどしゃ降りだから港には行かず神社へ直行しました‥(`Д`)
民家の並ぶ参道に一の鳥居を発見。
戦後は鞆銀座なんていう繁華街だったとか。
▲一の鳥居(天保8年)
二の鳥居は笠木の反りがおもしろいでしょ◡̈
ここにしか無い形の鳥居だって聞いてすご〜く楽しみにしてたの٩꒰ ๑′◡͐`꒱♡
▲二の鳥居(寛永2年)
キャーーー щ(゚Д゚щ) ちょっと〜っ!!!!!
何てことだよ〜っ。
この鳥居の為に来たのにシュッと停めないでよォォォォ c-(`Д´c)
▲注連縄柱
‥気を取り直してお詣りする(`Д`)
▲随身門(享保20年)
ちゃんと随身像が安置されてますよ〻〻
恐怖なフォルム。。
御祭神は大綿津見命と須佐之男命です。
大綿津見命は伊耶那岐神と伊邪那美神の神生みで成った海の神です。
神功皇后が朝鮮出兵の途中で港にお立寄りになり、
海中から出現した霊石を御神体として大綿津見命を奉斎し航路安全を祈願した事に始まります。
‥というのは渡守(わたす)神社の創始で、
渡守神社は慶長4年(1599)に焼失して鎮座地を転々と遷り鞆祇園社に合祀されました。
鞆祇園社の由緒など詳細は不明。
福山市内には蘇民将来伝説発祥地とされる備後国一宮素戔嗚神社があり、
沼名前神社も鞆の祇園さんと称され盛んに信仰されてきたはずです ( *˙ω˙*)
そんなこんなで主祭神は海の神ですが、
地元の方には祇園さんと呼ばれてます。
(๑¯ω¯๑)ややこしい?
木瓜紋と菊紋それぞれのお賽銭箱があります。
社殿が連結してるから権現造なんですかね、
ものすご〜く大きな建物です。
社殿の側面にはよく脇障子という仕切りがありますが、
ここが神馬舎になってるのは初めて見た!w
御本殿の脇に鳥居があるので行ってみる。
組み物しっかり。
これは御神水でしょうか。
お水が出てなかったので戻る。
沼名前神社の御朱印です。
〝式内〟に〝国幣(小社)〟と旧社格が御朱印になってるのはとてもめずらしいよね。
鞆の浦の地名の由来と伝えられています。
▲八幡社
▲渡守社.厳島社.艮社など
摂末社の脇にどれも巨大な力石が20個くらい転がってます (・Д・`)
65貫目って243.75kgだそうです〻〻
港町だからゴリラみたいな力持ちがたくさんいたのね〜。
いや、それよりかなり大きいやつ‥!
何貫目なのか想像もつきませんが‥。
わたしは祇園さんの神紋が彫られたやつが好きだな〜(n´∀`n)おしゃれ!
帰りは小さな四脚鳥居から。
なんとなく撮影した能舞台が実は重文だった!
元は京都伏見城にあったもので、
徳川秀忠より拝領し福山藩主水野勝成が寄進したもので、
国内唯一の組立式能舞台なのだそうです。
▲能舞台(国指定重要文化財)
わたし前の日に伏見城跡(明治天皇陵)にいたのでこれには驚きました。
今度は晴れた日に来たいなぁ!
◆沼名前(ぬなくま)神社
広島県福山市鞆町後地1225
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