巣鴨猿田彦大神庚申堂(豊島区) | ハニーちゃんがゆく!

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ひたすら寝てる人 たまに遠くへ行く

令和4年11月3日参拝

暦を見て納庚申と知ったら巣鴨に行きたくなっちゃった。

都営三田線西巣鴨駅A1出口から徒歩8分です。



都電荒川線をまたいで栄和通りを右折したら地蔵通り商店街(庚申塚の信号)に着きました!



奉賛会の方がいらっしゃる (n´∀`n) 

世の中落ち着いてきたような気がして確かめずに来ちゃったけどHPでお祭りあるのか確認した方がいいかもしれませんダッシュ



ところで気づき

都営荒川線の庚申塚・新庚申塚とふたつの駅名に採用される程の石塔をわたしは知らない。

庚申塚って一体どこにあるのかしら?



その前に軽く庚申という信仰について。

人の体には三尸の虫というのがいる。←!

(虫の居どころが悪ィや!とか言うよね)

その虫は間借りする体が死屍になるまで自由が効かなくて早く自由になりたいと思ってる。

ただし庚申(かのえさる)の日だけは動き回ることができるそうなんです。



😙庚申の夜に人が寝静まると、
三尸の虫は体から抜け出して天帝のところに日頃の行いを報告しにいくのです。
これによりわたしたちは裁かれて寿命を縮められてしまうので、
そうはさせるか!とみんなで徹夜した風習を庚申待ちといって、
年に6〜7回の庚申待ちを3年続けると満願成就として庚申塔を建てたそうです。



庚申待ちはあらゆる信仰と集合していたので地域によって本尊はさまざま。

帝釈天あるいは使いの青面金剛童子、

猿田彦大神、山王信仰の三猿など、

どれも御縁日が庚申です。

ちなみに巣鴨猿田彦庚申堂の御祭神は猿田彦大神大己貴神少彦名神となっています。



話を巣鴨庚申堂に戻すと、

明暦3年(1653)の振袖火事で巣鴨に復興資材がひっきりなしに運ばれていた時、

立てかけた竹木が倒れて文亀2年(1502)に建立された高さ8尺もの庚申塔が割れてしまいました。

村人たちは協議して新しい庚申塔を再建し、

文亀の庚申塔は地中に埋めて祠が築かれたということです。



ということは、

祠の中に新しい庚申塔があって、

その下に文亀の庚申塔が埋まっていてるのでしょうか?

🙏のぞきこんでも大きな御幣は見えるけど暗くてよくわからないな。



これはいいのもらったね〜。

奉納は昭和47年のようですが町鳶からの千社額なんてすでに貴重‥。



以前は書き手さんが食事休憩に行けないほど行列してた御朱印も落ち着いてます。

境内は関係者ばかりで「今日は参拝者が多くないですね?」って聞いたら、

「協賛もさみしいのよ」って。

ホントだぁ(゜д゜)



60日に一回訪れる庚申の日にいただける御朱印がこちら。

巣鴨庚申堂奉賛会のHPによると〝御朱印は担当者が高齢のため未定〟とあるのでもしかしたらいただけない日があるかもしれない。



例年であれば正月と節分にもお祭があるはずが令和5年は中止です。

これは令和5年は初庚申の1月2日(!)からはじまり7回の庚申日があるのに関係するのでしょうか。


たまには三尸の虫がドン引きするほど夜ふかししたいわねぇ。

最近眠くなるの早くて(´ω`)トホー



■巣鴨庚申堂猿田彦大神

東京都豊島区巣鴨4-35-1