イエスの教え VOL10 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


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イエスが、これらのことを話しておられると、群集の中から、
ひとりの女が声を張り上げてイエスに言った。


「あなたを産んだ腹、あなたが吸った乳房は幸いです。」


しかし、イエスは言われた。
「いや、幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」

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血や血統に拘るのであれば
イエスキリストが神々しい存在なので、
その親も、そしてその子供も神々しいと言う話になります。


しかしそれは物理的・物質的な話であって
同じ血を引いているからと言って
その人間がイエスキリスト同様に神聖ではないと言うことを


ここでイエスは言っているのだと思います。


幸いとされるのはあくまで”神の御心を行う人間”、


つまりは魂という意識の経路を感じ
そこから受け止めた創造主の意志を実践しようと勤めた人間こそが
幸いなのであって、


神性は血や肉で受け継がれるものではないと
イエスは触れているのだと思います。


その証拠にモーセ時代に人格神によって与えられていた、
ユダの民が神に選ばれた存在であると言う選民思想を
イエスは打ち消しています。


神性が祖先から子孫へと受け継がれるのであれば
その血や民族性こそを重視することになりますが


それが荒唐無稽であることは
思考能力のある人間であれば誰もが理解できるはずです。


この仮定では清いとされる血からは罪人が出ないことになってしまいますが
現実はそうではないことを私達は知っています。


その人間が救われる存在なのかそうでないのかは
一人一人の創造主との向き合い方にかかっていると言うことです。


ところで聖母とされたイエスの母マリアに関しては
私達の知らない実態があるようです。


イエスの死後、マリアとイエスの兄弟達は
イエスの教えに立ち返りそれを実践して見せたと言うことです。


アダムスキーの話によればエリアがそうであったように
マリアは”生きて天に昇って”そこで色々な事を見聞きして
再び地上でそれを語る機会があったようです。


もちろん”神のいる天国”に行ったのではなくて
天使達、太陽系の兄弟達の所に行って
そこで知恵と知識を与えられ


その後イエスキリストのように福音をしたのだと想像しています。


その時にマリアに直接指導を受けた人間達は
マリアを神々しいと受け止め


直接イエスキリストから指導を受けてはいないことから
マリアこそを聖人と受け止め神聖化したのだと想像がつきます。


つまりは聖母伝説はそこから始まったと言うことで
単にイエスキリストを生んだから聖だとされたわけではないようです。


聖母とされたマリアは12使徒同様に
創造主の法を福音した人物だったと言うことになります。


外伝では”マリアの福音書”なるものも存在していると言いますが
こちらに関しては信憑性は不明です。


他の使徒達も多くの教会で聖人扱いされていますが同様の理解ができます。


その後も聖母マリアらしき人間が現れては
キリスト教社会で奇跡と言われる行動を繰り返したことから、


聖母志向が強いカトリックのような派閥が生まれたのだと想像できます。


もちろん本当に聖母マリアを語る人間が現れたのだとすれば
それも天使達の演出だと思います。


イエスは世紀末にこそ再臨することになっていましたし
他の機会にはイエスキリストが再臨して見せることは出来ず、
その代役を聖母役の天使が果たした可能性もあります。


時には彼らの科学力をも駆使してです。


しかし私達はイエスキリストであろうが聖母マリアであろうが
それは私達を真理に導くきっかけとして受け止めなければなりません。


イエスキリストを信仰しようが、
聖母マリアを信仰しようがそれは私達の魂の救済には
ならないからです。


大切なことは聖人達を神聖化してそれを拝むことではなくて
聖人と言われた人間達が語っていた創造主の法を実践することこそが
私達に求められているからです。


人間を尊敬することは大切ですし
それに学ぶことも時には私達の進化につながります。


(自分の理解できていない事や”正しい知識”を持っているものからは
私達は学ぶことが出来ます)


しかし人間を神聖化してそれを拝んでも
私達は進化することはできません。


魂の進化をもたらす物は魂からの創造主の意志を受け止める事と
それを実践することだからです。
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体を殺しても、後はそれ以上何も出来ない人間達を恐れてはいけません。


恐れなければならない方を、貴方がたに教えてあげましょう。


殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。
そうです。貴方がたに言います。この方を恐れなさい。


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私が繰り返し引用している内容です。


私達は自分の実態を理解しておらず
今の生を一度きりの人生であると思い込んでいます。


そのためにその一度きりの人生をより心地よく生きようと願いますし
一度きりの人生を長生きしたいと願うことにもなります。


そのために死に恐怖し、
私達に死を意識させるありとあらゆるものを
恐怖するようになっています。


病に貧困、その他心が不快と感じ
私達を死へと導くようなありとあらゆる不快な物事をです。


そして私達の社会の人間は長生きするためには、
そして自分の心が心地良くあるためには、
時には他人をも踏み潰してでも自分の寿命や立場を守ろうともします。


しかしそんな行為はそのまま私達の魂の状態を
創造主の法から乖離させる事になります。


自分の命(心)を救おうと願う行為が
結果的には自分の命(魂)を失うきっかけとなるのです。


私達の人生が一度きりであれば
その寿命を伸ばすためには
誰もが躍起になって心の赴くままに振舞うことにもなります。


それがこの社会の実態だと言うことです。


私達が自分の実態を知らないために
私達は誤った生き方を強いられる羽目になっているのです。


もしも私達が肉体の死と共に
その魂が次の肉体へと宿ると言う法則を理解していれば、


その中でも前世の記憶を持っての転生が
イエスキリストの行っていた”永遠の命”であることを理解できれば
私達は生き方を変えることが出来ます。


今の生で、ありとあらゆる体験をしたいと
欲張る必要もなくなりますし、


今の生で心地良い思いが出来なくても
次があると開き直ることも出来ます。


ましてこの生の私達の生き方が、

その後の転生での私達の運命をも変えると知れば
私達は心のあり方を変える事にもなります。


今の人生を心地良く面白おかしく暮らしては
記憶を失った転生をすることになったり魂を消滅させるよりは


今の生で自分の心を諌める生き方をすることで
記憶を持っての転生へと進み
永遠を感じたいと願う人間だって出てきます。


私達は意識を変えることが出来るのです。


そしてここでのイエスキリストの言葉は

例え、自分の命がこの社会の中で脅かされるようなことになっても
それに屈服して命を生きながらえようとすれば


結果的には心を腐らせて
魂の消滅へと導かれることになるのだと言う趣旨です。


今のこの社会に存在するありとあらゆる権力や圧力は
私達の肉体を殺すことが出来ます。


権力をも使用すれば法律を捻じ曲げて
他人を合法的に消し去ることも出来ます。


しかし彼らは私達の肉体と脳機能をつかさどる
私達の心を殺すことは出来ますが


私達の真の実態であり肉体に命を吹き込む魂を
淘汰することは出来ないのです。


(もちろん悪意に騙されて誘導され続け心無い行為を繰り返すことで
魂を消す羽目になることはあるでしょうが)


しかし間違いなく創造主の法は時には私達の魂を消すことになります。


ここでのゲヘナは存在していると信じられている地獄の例えです。


天国と地獄に関しては別の記事で触れているのでそちらを参照してください。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11003292677.html
天国と地獄
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11003294416.html
天国と地獄 後編


私達は今の肉体の生を守るために圧力や権力を恐怖しそれに従えば
その肉体を生きながらえさせることは出来ます。


しかしそのことで自分の心を腐らせれば
私達は創造主の法の適応を受けて魂を消滅させる事になります。


一時の命を重んじて結果的に魂を消すことは愚かだと
イエスキリストは取り上げているのです。


私達が恐れるべきは闇政府の人間達の圧力や暴力により
今の命を失う事ではなくて


その圧力に屈して自分達の魂を創造主の意識からかけ離れさせて
結果的に魂を消滅させる事です。


イエスキリストは言っていました。


「例えこの世界を手に入れようとも
その命を失えば何になるのか」
とです。


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イエスが、宮から出て行かれるとき、弟子のひとりがイエスに言った。
「先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう。」


すると、イエスは彼に言われた。
「この大きな建物を見ているのですか。
石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」

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イエスキリストが創造主の法に関して
さりげなく触れている箇所だと思います。


私達はこの三次元に存在している万物が
常に創造と崩壊の過程にあることを理解しています。


私達三次元社会の万物は
四次元社会の創造主の想いの具現化したものでした。


それは有機物だけではなくて鉱物や無機物と言われるもの、
更には元素まで含めて全てです。


私達はその鉱物や元素を利用することで
あらゆる物を作り上げています。


しかし家も数十年たてば老朽化するように、
私達の肉体が衰えるように、
木々が生長してもいつかは枯れ果てるように、


三次元社会の中において永遠を存在し続けるものはありません。


そしてその中で半ば永遠を保っているのは、
私達が元素とか素粒子と呼んでいるような
三次元における物質を表現するための素材と


私達の肉体の中に隠れている”創造主の法則”ともいえる
DNA情報でした。


私達、三次元に存在する生命体は
個々のフォーム(形態)を持っています。


それは人であったり動物であったり虫であったり
植物であったりもします。


それは創造主の分身としての魂を入れるための器でもありました。


それぞれのフォームは繁殖と死を繰り返しながらも
親から子へと遺伝子情報を伝えていきます。


これはそれぞれのフォームが初めて生を持った時から
今に至るあらゆる情報の記録でもあります。


そしてそれは永遠に進化し続けているともいえます。


しかし肉体自体は創造と崩壊を繰り返しています。


一方では元素も常に進化の過程にあります。


ある時はただの土だったかも知れませんが
ある時は植物の一部となり


それが動物や人間に食べられること動物や人間の一部となり
その時々であらゆるフォームの一部となり体験を続けるわけです。


そして元素は小さなものですが、
全ての体験したフォームの記憶を持っていて
確実に進化しているというのが


金星社会のマスターと言われる人間の話でした。
(地球社会の隠れたマスター役がオーソンさんだと思います)


アダムスキーの話では
私達人間はその実態である魂の進化が進んでいないことから
本当は大きな進化を果たしているわけではないのですが


それを構成している各元素が進化を続けてきたために
その恩恵を受けて地道な進化をしていると言う話でもありました。


私達が自分達の肉体や脳機能含めて自分達の手柄だと思っているものが、
実は元素レベルでの進化の恩恵を受けていると言うことです。


同様に宇宙空間ではありとあらゆるものが進化と崩壊を続けていて、
つまり同じように見える太陽系であっても


一つが崩壊し一つが創造されれば
新たに出来上がったものは以前と比べて進化しているのだと想像できます。


そして同時に私達は自分達の実態である魂を進化させていくことになります。


三次元では元素が進化し、DNAが進化し、
私達はその恩恵を受けて肉体的進化を果たし


同時に私達は自分達の実態であり本質である
魂を進化させ続ける存在だと言うことになります。


そしてもともとの創造主の想いが進化と調和なのですから
それを目的として宇宙空間全体も進化し続けていることになります。


更にその進化に従うことの出来ないものは
その法則の中では存在し続けることも出来ないわけです。


万物が進化と言う波に乗っているその中で
その波に乗ることが出来なければ
待っているのは消滅だと言うことになります。


私達が後生大事に守っているこの肉体は
宇宙空間の長い歴史の中においては一瞬の現象にしか過ぎません。


それは永遠を保つものではないからです。


しかし私達は進化の波に乗ることで
永遠を経験することになります。


勿論三次元社会で同じ肉体を持ち続けることは出来ませんので


魂という私たちの実態を進化させ続け
肉体を取替えながら記憶を持った転生を繰り返すことでです。


そして私達の最終目標は限りなく創造主に似ること。


創造主が自分に似せた分身として作り上げた私達は
脳機能含めてまだまだ限りない能力を秘めています。


その全てを使用できるような存在になるのか、その前に消えてしまうのかは

全ては私達の意志にかかっているのです。


私であれば、例え宇宙が、
神という名の創造主が気まぐれで作り上げた物であったとしても


その中で意識を持った存在とさせてもらい
色々な体験を出来る機会を与えられた事を感謝出来ます。


創造主が意識を与えてくれなければ
”私と言う意識”は存在しなかったからです。


自分と言う存在を意識しながらできる
あらゆる体験の機会を与えてくれたのは創造主の法則です。


与えられた機会に感謝しつつその世界の中の
真の秩序である進化と調和を生きるも、


身勝手な選択をして限られた時間をエゴをもって好き勝手に生きるも
創造主に挑戦して生きるも私達個人の自由です。
(ただしイエスは他人を躓かせる事は許されないと言っていたはずですが)


イエスキリストは


「父の願いは永遠の命だ」


と言っていたはずです。


父の元に帰る選択をした私達は
その想いを理解することも出来るはずです。


私と兄弟姉妹は自分達の理解を多くの人間に伝えることで
その願いを知らせるきっかけとする事が出来ます。


自分の誤った価値観や、
心が心地良く感じる人間の作り上げた法則に従うのではなくて


私達が知るべき真理を深く理解して、
多くの人へと述べ伝えて行きたいです。


それが創造主の意志である限り
その行為は私達を進化へと導くのです。


そしてそれは同時に万物への奉仕です。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】


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続・宇宙の法則 VOL2 輪廻と転生の法則
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続・宇宙の法則 VOL3 意識の経路
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続・宇宙の法則 VOL4   心とエゴ 
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続・宇宙の法則 VOL5 想念とオカルト
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生命の科学 復習・応用編 VOL4 潜在意識のカルマ
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生命の科学 復習・応用編 VOL3 カルマは解消できる?