久しぶりになってしまいました💦
書きたいことはたくさんあるのですが、
前回の話の補足というか、
発語がないことで、怖かったこと、不安に思った出来事があったので、
そのことを書いておこうと思います。
娘は今月、修正でも3歳になりましたが、
発語が全くありません。
特に人見知りもなく、好奇心旺盛。
どこでもすぐに馴染んで、
よく「あー!」と指差ししたり、
手遊び歌なんかは大好きで、下手なりに真似したり、
見た目は普通の3歳児。
中身は2歳児くらい?ですが
名前を呼ばれたら手をあげるし、
バイバイで手をふるのはする。
たまに、ジェスチャーで伝えてくることもある。
絵本やイラストを見ながら、
「きりんはどれ?」「ぶどうは?」「うーたんは?」等聞くと、
指差しをして答えるので、
言われていることは分かるようなのですが、
とにかく言葉が全く出ない。
「ママ」はもちろん、
「わんわん」とか「まんま」、「はーい」なんかの簡単な言葉すら言いません。
娘自身、しゃべれないことで、
ママ(私)に思いが伝わらなくて、分かってもらえなくて、イライラしたり、イヤイヤ泣いたりすることもありますが、
基本的に、
誰かとコミュニケーションをとることが出来ません。
590gの超低出生体重児で生まれて、
発達がかなり遅れるというのは覚悟していたけど、
言葉らしいものすら全く出ないのは、さすがに遅すぎるし、
知的にも問題があるんだろうとは思っています。
でも、
発語がなくても、それなりに成長して、
身体も大きくなっていくし、
赤ちゃんの時みたいに、ずっと抱っこで一緒に過ごすということもなくなる年齢になりました。
年齢的には、親から離れる時間も増えて、
幼稚園なんかの社会に出ていく時期になるけど、
親としては、複雑で。
常に親と一緒だった世界から離れて、
娘だけの世界が広がって、
新しい世界を知って、
新しい出逢いや発見、たくさんの経験の中で、
娘の心が豊かになっていくことを願うけど、
母子分離とか、子どもの自立とか、
今はとても考えられないのが正直なところです。
9月に、救急車を呼んだことがありました。
娘がお昼寝中、突然吐いて、
唇が紫色になってガクガク震えだしたから、
熱性痙攣かと思ったのです。
結局は、痙攣ではなく、熱が上がる直前の震えだった
「私だけではどうしようも出来ない、
救急車を呼ぼう!」
と、急いで救急車を呼んだのですが、
救急隊が来た時、娘の状態を心配しながらも、
私はショックを受けていました。
「○(娘)ちゃん、分かるかな??」
「自分のお名前、言える??」
救急隊の方に、意識の確認で色々質問されても、
娘は全く返事が出来ないのです。
「うん」「ううん」も言えないし、
首を動かして応えることも出来ない。
私が横で、娘の代わりに応えるしかない。
でも、それは私の想像であって、
娘が泣いたりグズっても、
何を訴えているのか分からない。
痛いのか、寒いのか、暑いのか、体がキツイのか、
気持ちが悪いのか、苦しいのか、
お水がほしいのか、お腹がすいたのか、
救急隊の人達にびっくりしたのか、怖いのか、
不安でママを呼んでいるのか。
…分からない。
あぁ、
発語がないのは、
こんな時にも影響するのか…
こんな命に関わる時でさえ、
発語がないことで、この子は苦しむことになるんだ。
親もまわりも困るんだ。
発語がないんだから当然のことだけど、
改めて、現実をつきつけられました。
結局は、痙攣ではなかったし、娘の意識もあるから、
救急車に乗ることなく終わったのですが、
熱でぐったりしている娘を抱きながら、
暗い部屋に残された私は、急に怖くなりました。
娘に何かあった時に、
私がいないとどうなる??
例えば幼稚園に行ったとして、
プールで溺れそうになったら?
園外活動で皆から離れてしまったら?
大きな怪我をしたら?
具合が悪くなったら?
いじめられたりしていたら?
逆に、誰かを傷つけていたら?
「いたい!」も「いや!」も何も言えない娘。
娘からの言葉がない以上、
娘の現状が分からない。
娘に起こっていることが分からない。
何より、
娘の気持ちが分からない。
他人は私以上に、
娘のことが分からない。
救急車を呼んだのが、
プレで通っていた幼稚園に、辞退の挨拶に行く直前のことだったから、尚更、
普通の幼稚園ではダメだと強く思いました。
信頼出来る先生がいない、
加配の先生もつかない幼稚園で、
毎日長時間の母子分離は危険だし、
「集団生活の中で慣れれば大丈夫」とはいかない。
「人見知りで言葉を発しない子ども」と、
「活発だけど言葉を発することが出来ない子ども」
では、全く違う。
慣れとかの問題ではないし、
自閉症や知的に問題がある子なら尚更、
普通の一般的な保育・教育では無理があるし、
対応も違ってくる。
定型の子と同じような、
普通の子どもの育て方、普通の他者との関わり方なんて、もう望んでいないけど、
せめて、
自分の名前が言えたら。
はいと返事が出来たら。
ママと呼んでくれたら。
娘の世界も広がって、人とのつながりも増えて、
娘ももっと自由に生きられたのかもしれない。
親としては、そんな風に産んでしまった娘に申し訳なく、
そして、
不安で不安で仕方がないのです。
発語がないことで不安になった出来事は、
まだまだありました。
そのエピソードは、次に書きたいと思います。
ここまで長い話にお付き合いいただいて、
ありがとうございました