2018.12.6 | わっこ オフィシャルブログ wacco official blog

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シンガーソングライター / 詩作 / 男 / 広島県広島市出身 お問い合わせ wacco1004@gmail.com

約4週間の病床で何度、涙を流したっけ。
そんなことをふっと思い出した。
それは、病気になり、描いた未来が絶たれた悔しさや悲しさの涙ではなく、夢や理想の身ぐるみを剥がされ残ったこの自分が、誰の為にもなれない、いかに無力な人間であるかと痛感した虚しさの涙だった。

入院から解放され、体調の制限はあれど自分の足で自由に道を歩める、まるで世界が無限に広がっているように感じたあの感動すらも、時間と共に薄らいでいき、またあの病床で流した涙の意味も同じように乾いていった。

癌が発覚してからおよそ5ヶ月が経とうとしている。
その前の自分と比べると精神的には何も変わっていないようでいて、破綻していった部分と強固になった部分があるのは確かだ。

何度でも死んで何度でも生まれることができる。朝が来てまた夜がくるように。
そう自分を鼓舞した。
仲間にも恵まれ、体調の辛い日も痛みの伴う検査も、優しい言葉を頼りした。

しかし、どうしても心の空洞が埋まらない。
病気後のいつかの日記にも書いたが、誰かのためになりたいという欲求は膨らむものの、誰のためにもなれないという現実の針で一瞬にして欲求は弾け去り、風が空洞を過ぎ去る日々。

入院中、鳥籠の中の鳥の様であった自分は、どうしてもしゃれた比喩や自然描写が盛られた小説というものが読む気になれなくて知人から貰った本も開かないままだった。

ある程度、外の世界を歩き小説世界にちゃんとした実感が沸く準備が整ったからであろうか貰った本をコンビニで雑誌を立ち読みするくらい気軽な感覚で開いてみた。

僕は三浦綾子という作家をこの時点まで知らなかった。
どんな重い病気を患い、どんな想いでどんな宗教を信仰しているのかも知るはずもない。
まずその本に何が書かれているかもわからないのに。

20代の頃、哲学や思想の本を読み漁った時期があった。とある思想に傾倒し、超人的人間こそが神をも越えるのだと信じきっていた。
病気前の自分が作った曲には必ずといっていい程、この超人思考が多かれ少なかれ忍ばせてある。
云わばあまちゃんニヒリスト。
人間は放っておけば暗い曲しかできないらしい。
他者あっての芸事であるのに、自分の頭で考えもしない受け売りの思想を借りただ本能に身を任せた影のある曲が如何にエゴにまみれた怠惰な駄作であるかをこの時は気づかなかった。
ほんの最近まで気づかなかった。

そんな神が何かすらも知らない、知る気もない半端者が反旗を翻すような思想を抱こうが、病気になったら、ご覧のとおりかつての威勢もない牙を抜かれた狼。

癌になって少し人生とは何かを悟った。
まだほんの少し。確証はない。
そこまで自惚れてない。

一度だけ聖書を熱心に読んでいたことがある。
理由は完璧に神の存在を否定し、完璧に神学及び形而上学を論破するための材料として。
しかし神はこんな小者に否定されるほど小さな存在なはずがないのだ。

試しにこいつを病気にしてやろう。
これこそ神のみこころなのかもしれない。
思い上がるなと。謙虚に生きよと。
何らかのトラウマで心がねじまがり、運命の責任を他人に押し付け、敵でもない者を敵にして自分を生きづらくしていることに気づきなさいと。
本当の真っ白な自分を取り戻しなさいと。
汝の敵を愛せよと。

わからない。
わからないけど、自分にはそう聞こえた。
三浦綾子さんの「道ありき」も手伝って。

誰かのためになりたいという病床で自発的に生まれた希望は、一度死に、再び新たな気持ちで開いた聖書の中のキリストの教えのひとつでもある。
たまたまの偶然なのである。
いや、本当に俗にいう
偶然は必然なのだろうか。

自分を心から悔いた。
まだあなたを信じきることはできません。
しかし本当に申し訳ございません。
お門違いの恨みを、うまく回らない人生を見えないものにぶつける愚かさを、自我や利己にまみれた脆さを、悔いた。

俺、ブルーハーツの青空好きなんだよね。
めっちゃ共感するわ。

果たしてそう主張する心に本当に共感はあるだろうか。
本当に僕らは人を秤にかけず、人の上に人を作らず、謙虚に心の中で自分を慰め、他者には自分の言葉で慰めを与えることができるほど、人間は強いのだろうか。

誰かのためになりたい。
健康でピンピンしていた頃には自分の未来ばかり関心があり他者は二の次だった。
やがて足をくじき、痛みを知り、世の中には自分以上に苦しむ人々がいることを痛感し、如何に自分が弱いかを知った。

今日、広島市内にあるカトリック教会へ神父様の講義を初めて受けにいった。

生まれたところや、皮膚や、目の色で
もう判断は
しない。
誰かのためになりたいんだろ?

そんなクリスマスを控えた
2018年12月6日雨後曇り。