Queen 31 | QUEEN考察

QUEEN考察

QUEEN好きの好き勝手です

 





MUSIC LIFE (ミュージック・ライフ) の元編集長だった東郷かおる子さんはQueenのジョン・ディーコンをして「心優しい普通の人」と表現しています。


彼女の今をもって書き綴る「MUSIC LIFE CLUB」(ミュージック・ライフ・クラブには様々なQueenとの逸話が書き綴られていますが、そこで東郷さんはジョンのインタビューで感じた事をこう書いています。





1979年、3年ぶり3度目の来日公演の時だった。
アルバム『ジャズ』で‘80年代のクイーンがポップ路線を感じさせた頃の来日公演だった。

東京でのメンバー個々のインタビューは難しいということで私達『ミュージック・ライフ』の取材班は大阪まで出向くことになった。

ホテルの一室に時間差でメンバーに来てもらい、いよいよ取材と写真撮影が始まった。
とは言え結局、フレディだけは福岡まで追いかけて取材に漕ぎつけたのだが……

ブライアン、次にロジャー……

問題なく撮影やインタビューが終わり「やったァーー!」とばかりに撮影機材や何やらを片付け始めた時だ。
コンコンとノックする音がする。

今頃、誰だろうとドアを開けた私の前にニッコリ笑ったジョンが立っていた。

その途端、思い出した。
そうだ、まだジョンの取材が残っていた! 
慌ててスタッフに目配せして彼を部屋に招き入れ、すぐに取材を始めた。

途中で熱い紅茶をサービスして和気あいあいとインタビューはすすんでいった。

紅茶のお代わりを出した時、一瞬、ジョンの表情が微妙に変わったような気がしたが、無事に取材は終了。

ジョンにお礼を言って、すべての取材が終わった後、彼に紅茶のお代わりを出したスタッフが言った。

「あッ、紅茶のカップに間違えてコーヒーを入れてました」

まったく、なんてことだろう! ジョンの存在を忘れていたうえに、紅茶にコーヒーを混ぜて出すなんて……。
失礼このうえなかったと思うのだが、文句を言うどころかジョンは終始、笑顔を絶やさず取材に応じてくれた。

多分、彼は自分が忘れられていたのは理解していなかっただろう。
でもね、なんとなく聞き逃したのだが、彼は席を立つ時にこう言った。

「その紅茶、コーヒーの味がしたな」

ごめんね、ジョン!



MUSIC LIFE CLUB 
クイーンの思い出 2 / 心優しい「普通の人」ジョン・ディーコンより抜粋



この東郷さんの記事により、ジョン・ディーコンがいかに心優しい普通の人だったかを伺い知る事ができると思います。

この記事の中にもありますが、貴方がQueenを語る時、誰に一番、目が行きますか?

「私はフレディ!」

と、言いたいところですが、実はジョンなのです。

フレディと同率と言えるかもしれません。

もちろんフレディありきのQueenであり、Queenありきのフレディは間違いないのですが、ライブの映像を見る時も、自然にフレディの後ろに映り込むジョンの足さばきに目が行きますし、音楽のみを鑑賞していても、ジョンのベース・ラインを耳で追ってしまうのです。

実はジョンのベース運びとは、けっこう異質なもので、コアなファンなら理解して戴けると思うのですが、かなり攻めのベース・プレイを見せているのです。




メンバー全員が、それぞれの個性を生かし、楽曲を作ってきたQueenにおいて、初めてジョンの楽曲が採用されたのは、アルバム3作目「Sheer Heart Attack」(シアー・ハート・アタック) 収録の「Misfire」(ミスファイア) です。

2分にも満たないこの小曲を皮切りに、ジョンの楽曲がこれ以降のアルバムに1~2曲程度収録されるようになりました。


その非凡なる作曲能力は、すぐさま開花します。




アルバム4作目の「A Night At The Opera」(オペラ座の夜) 収録の「You're My Best Friend」(ユア・マイ・ベスト・フレンド)は、ジョンが書いた楽曲の中でも最もファンに親しまれる1曲だと思います。



1975年1月に結婚した自身の妻、ベロニカを 「ベスト・フレンド」 と表現したこの曲は、ポップな曲調の中で優しく素敵なメロディが、まるでゆらゆらと踊るように、いつ聴いてもほのぼのとした気分にさせてくれます。

Queenの楽曲において鍵盤楽器は、基本的にフレディ・マーキュリーによって演奏されますが、この曲で使用されている電子ピアノはジョンの演奏で成り立っています。

これは生のピアノの音にこだわったフレディが断ったためとされていますが、ライブでこの曲を演奏する際は、フレディが生のピアノを披露しています。

ジョンは元来、ギター奏者から始まり、Queen以前に所属していたバンドのベーシストが退団したため、急遽ベーシストに転向したという経歴があり、その他にもドラムも叩ければ、電子ピアノやキーボードも演奏できるマルチ・プレーヤーです。





その器用な様子の一部が1985年11月リリースの「One Vision」( ワン・ビジョン) のオフィシャル・ミュージック・ビデオに収められているので、良かったらご確認下さい。



その後のQueenの作品でも、同様にジョンの卓越したポップセンスを生かしたナンバーを見て取ることができます。

壮大で緊張感のある曲調が多いQueenの作品群において、ホッと息をつける暖かい曲調はジョンが手がける楽曲の特徴でもあり、耳に入る聞きやすさも魅力といえるでしょう。


一方でジョンは、Queen6枚目のアルバム「News Of The World」邦題 (世界に捧ぐ) 収録の「Spread Your Wings」邦題 (永遠の翼)のような、Queenの王道路線の楽曲も書いています。

劇的な旋律をフレディが歌い上げるパワフル・バラードで、Queen史上初めてコーラスワークを一切使わない曲に仕上がりました。


ちなみにこのアルバムにはもう1曲、ラテン風味の穏やかなアコースティックな曲「Who Needs You」(恋のゆくえ) が収められていて、その曲作りの振り幅には改めて驚かされます。


Queenのメンバー内でもこのジョンに隠されていた才能には驚きを隠せず、各々にインタビューなどで正直にその驚きを話しています。


こうしたQueenの音楽性を拡げるきっかけの多くをジョンは作りましたが、それは時として他のメンバーとの摩擦も生みました。

Queenの出したアルバムの中でも問題作とされる「Hot Space」
(ホット・スペース) の制作過程では、ソウルやファンクに傾倒するあまり、従来のロック色の堅持を主張するブライアンと意見が食い違う中、自身の曲「Back Chat」(バック・チャット)に、ギター排除というQueenとしては常識破りのアレンジを持ち込もうとしました。 

激論の末、バンドはこの曲にギターソロを含むことを最終的に決定し、問題は決着がついたのですが、しこりはしばらく残ったと伝えられます。





「The Game」(ザ・ゲーム)に収録された「地獄へ道づれ」にしても、アメリカでR&B、ファンク、ディスコを得意としたバンド「Chic」(シック)に強く影響を受けたジョンのベースラインが生み出した、ある意味異色作で、ロジャーは機械的なドラム運びに当初から乗り気ではありませんでした。

その模様は映画「ボヘミアン・ラプソディー」にも描かれていましたね。

おそらくは史実的にもあの場面通りだったのだと思います。

ジョンの奏でたリフにフレディもブライアンも「そのリフ、いいね」と乗り気だったけれど、単調なドラム・ループを良しとしなかったロジャーは最後まで不機嫌だったといいます。

しかし、従来のQueenらしさに捉われないジョンの姿勢がなければ、全米1位という大ヒットは生まれなかった事も確かな事実です。

温厚な性格のジョンが、他のメンバーとの摩擦を生んでまで自らの音楽的嗜好を貫こうとしたのは意外ですが、それだけ自分の信じる音楽性というものに強い拘りがある事を感じる事ができます。


80年代以降も「I Want to Break Free」(ブレイク・フリー)邦題(自由への旅立ち) などの人気曲や、サックスをフィーチャーしたバラード「One Year Of Love」(ワン・イヤー・オブ・ラヴ)などを次々と書き上げ、メンバーとの共作も含め、Queenに欠かせないソングライターとしてその存在感を示し続けました。

Queenにおけるジョンのベースは、その大人しそうな雰囲気とは裏腹に、曲中を通じて絶え間なく主張する 「攻めのベースプレイ」が特徴的です。

ロックバンドであるQueenの音楽性を考えると、低めのルート音をキープして、根幹を支えるプレイに徹するのがセオリーのように思えますが、ジョンのアプローチは明らかに異なるのです。

ジョンは、ロックバンドのベースとしては高い音域を大胆に多用し、なおかつかなり動きのあるベースラインを構築しています。

それはフレディの歌唱バックでも変わらず、ボーカルの旋律と絶妙に絡み合う様は、さしずめ ベースを使って歌を合わせているようにすら聴こえるのです。

こうしたプレイは、特に静かめの楽曲において顕著です。

一般的なロックベーシストならあまり行わないアプローチがQueenの楽曲を特別なものにする、ひとふりのスパイスになっている事は間違いありません。

また、ロック色の強い楽曲においても、動きのあるベースラインを聴かせます。
楽曲を勢いよく聴かせる卓越したドライブ感も特筆すべきポイントですね。

時にギターリフとシンクロしたプレイを繰り出し、楽曲に絶妙なノリを生み出すのは、ジョンならでは技です。




分厚いギターオーケストラを用いたブライアンのギタープレイ。

ボトム低めにチューニングされたロジャーのドラム。

これらがQueenのサウンドに充分な重さを与えているのを考えると、ロックベースながら敢えて高い音域を多用するのは、アンサンブルのバランスからも理に叶っていると言えるのです。


ライブにおいては、フェンダーのプレジションベースを抱え、ドラムライザ中段の定位置で、黙々とベースを奏でる姿が印象的です。

コーラスも取らずにひたすらプレイに集中する姿は、潔いジョンらしくいつも目で追ってしまいます。

乗ってくるとベースギターを左右に振り、足を高く上げ、踊るようにプレイする姿も胸を高鳴らせます。

その姿は映画「ボヘミアン・ラプソディー」でも、ジョゼフ・マゼロの好演によってライブ・エイドのシーンで再現されていましたね。

あまりに再現力が高くて、ここだけでも涙が溢れます。




みなさんがQueenの曲を聴く時、今までベースパートを意識していなかった方がいらっしゃるなら、フレディ・マーキュリー、ソロの最大のヒット曲、「I Was Born To Love You」邦題 ボーン・トゥ・ラヴ・ユーで聞き比べてみて下さい。

この曲はオリジナルのソロアルバム「Mr.バッド・ガイ」に収録されたフレディ・ソロ・バージョンと、1995年に発表したQueenのアルバム「メイド・イン・ヘヴン」に収録されたブライアン、ロジャー、ジョンの音を重ね合わせたQueenバージョンがあるんです。

聞き比べるにはもってこいの曲ですね。

どちらが良いかは好みによると思いますが、違いは素人でもはっきりと解ると思います。

オリジナル・バージョンは軽やかでポップな印象で、Queenバージョンは豪華絢爛。華やかで劇的でもあります。

また、ベースの音を追うと、ジョンが奏でるカラフルなベースラインがいつもと違った印象を与え、楽しみ方を拡げてくれるはずです。






ジョン・ディーコンは間違いなくQueenの独特なサウンド創りに欠かせない存在でした。

最後にクイーンへ加入したジョンは、メンバー内で最年少でした。

ジョンを加入させたのは、それまでのベーシストのように自己主張がなく、謙虚で温厚な性格だったからだと伝えられます。

インテリ揃いのQueenの中で、ジョンもまた大学で音響電子工学を学び、首席で卒業。
その機械への豊富な知識も決め手となったはずです。

その狙い通り、他の3人の間における緩衝材的な存在として、ジョンはバンド内に絶妙のバランスをもたらしました。
また、学業での才能を生かして、オリジナル機材の製作にも力を発揮したのです。

ブライアンの分厚いギターサウンドは、ジョンのアンプやエフェクター無しには成立しなかったのですから。

クイーンのメンバーをよく知る関係者のエピソードを読むと、いかにジョンがロッカーらしさとは無縁の、ごく普通の人だったのかが良くわかります。


そういえば他の3人のメンバーは、ソロアルバムをリリースしていますが、ジョンだけはソロ活動をしませんでした。

それはジョンのフレディに対するリスペクトの大きさが要因だったと分析するジャーナリストもいます。

ジョン自身も自分は音痴だから、といつも笑い飛ばしていましたね。

数々のトラブルを間に入って緩和して来たジョンの功績を思えば、もしQueenのベーシストがジョンでなければ、フレディの死を待たずして、Queenは空中分解していたかもしれないのです。




1991年11月24日。
いえ、耳にしたのは25日でした。

フレディ逝去の一報を知った時、私は「これでQueenは終わった」と正直思いました。

同じように感じたファンも少なくなかったでしょう。
メンバーの心中を察すると、その衝撃たるや想像を絶します。

その後、ブライアンとロジャーは苦難を乗り越え、Queenの存続を選びました。

しかし、「Queenのシンガーはフレディ以外には有り得ない」と結論づけたのがジョンでした。

その昔、ジョンがフレディの存在について聞かれ、こんな答え方をした事があります。

「フレディは…そうだな。
彼は僕の親友だ。
本当に良い人だよ。君たちも知っている通りのね。

僕は初めて会う人達との会議が苦手だったけど、フレディと一緒にいるときは内気な僕をやめられた。
彼が僕にもたらしてくれるものは本当にすごいんだ。

そして彼は僕を理解してくれるたった一人の人…。

彼は僕の代弁者だ…。」


この言葉からもジョンのフレディに対する想いが見て取れますね。

彼はきっと、フレディがいたからこそ、Queenのメンバーで有り得たのでしょう。




元々音楽業界の喧騒を好まなかったジョンは、フレディの追悼コンサート等に出演したものの、Queen最後のアルバム「Made In Heaven 」(メイド・イン・へヴン) をブライアン、ロジャーたちと共に仕上げた後、徐々に表舞台から遠ざかり、
1997年頃を境に公の場から姿を消しました。

引退を告げたのはブライアンでした。

ジョンが姿を消して25年余りの月日が流れ、映画「ボヘミアン・ラプソディ」は公開されました。

噂によると、ジョンは映画化に対して許諾は出したとされています。

しかし、制作に関与することはなく、完成後のプロモーションの場にも姿を見せませんでした。

それでもジョンの動向を気にかけていたファンに、朗報がもたらされました。

それは、ジョンの息子である「ルーク・ディーコン」が、映画「ボヘミアン・ラプソディー」の中にわずかではあるけど、出演していた事です。

自分自身が表舞台に戻るのではなく、自身の息子が、自分たちを題材にした映画に痕跡を残すなんて、恥ずかしがり屋のジョンらしいと思いませんか?。




きっと息子のルークが手渡したであろう完成した映画を、ジョンは観ているのでしょうね。

映画に登場する若い頃の自分やフレディの半生を、どの様な気持ちで観たのでしょう? 


願わくば・・・
亡くなってしまったフレディに会う事は叶わなくても、それでも、もう一度だけ。

3人のメンバーがQueenとして同じステージに立ってくれたら・・・

いや、ジョン単独でもいい。

フレディを懐かしむジョンの言葉を聞きたいと思うファンは、私一人だけではないでしょう。


でも、今のジョンの置かれた心境などを鑑みると、そればかりを追及するのも違うとも思います。


今はただ、心穏やかに過ごして欲しい。
息災であって欲しいと願うばかりです。



そういえば、1995年初頭、「オフィシャル・インターナショナル・クイーン・ファンクラブ」向けに、ジョンのこんなメッセージがありました。




みんなへ

みんなが元気なこと、そして1995年がみんなに優しくしてくれてる事を願っています。

Queenのレコーディングやミキシングは順調に進行中です。
今年中に完成したものをリリースできれば、と思ってます。

完成版に対しては、みんなからもさまざまな感想や意見がでてくるのではないかと思います。

ロジャー、ブライアン、そして僕自身にとってもなかなか簡単な作業とはなっていません。

僕たちの中でも意見が違い、合意するまでに時間もかかってしまうのです。

とはいえ、ベストを尽くします。ベストを尽くす事が僕たちにできる最善のことだから。

Queen最後のアルバムがリリースされて良かった、意味があるものだった、と感じてもらえることを願っています。

ではまた

ジョン・リチャード・ディーコン