「出過ぎた杭」 | ドット模様のくつ底

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奈良が好きなライターの瞬間ブッダな日々の記録。
福祉的な目線から心の問題を考えています。

『僧力結集』でもお世話になった


東大寺のお坊様と、

薬師寺のお坊様の中で、


大学の同窓のお二人がおられます。


このお二人というのは、

さらにいうと同じゼミでもあったんですね。


ゼミではお二人のお坊様、

「法相宗」を学んでいたそうです。。。


東大寺は華厳宗、薬師寺は法相宗。。。


おや!?

東大寺のお坊さんはなんで法相宗??


ま、単に「華厳宗」を学べるゼミがなかったという理由

だったわけなのすが。




以前に東大寺のお坊様が薬師寺のお坊様のことを

こう言っておられたことが印象に残っています。


「あの人はいつでも真剣だからすごいと思っていた」


「この前、真剣に語っていたことが、


次に会ったときには正反対の意見になっていたりする。


そのときもまた、真剣だったりするから、すごい人だなと思っていた」



これは、どう捉えてよいのやら

少し考えさせられましたが、


薬師寺のお坊様は


「何事にも命懸けで向き合う」ことを宣言しておられる方なので、


東大寺のお坊様はそのことが言いたかったのだと思います。


出した答えから一転、正反対の答えを持つという振り幅の広さは、


周囲にいる人からすれば、


その人の「お人柄」を知っていなければ混乱することかもしれませんし、

(知っていても混乱するか。。。)


政治家だったら大いに問題かと思いますが。。。


この方の場合、

何事に対しても手を抜くという感じではないんです。


「間違っていたら振り幅など気にせず、正面切って正す」ってことかな。。。


間違いを恐れず正しいと思ったことを

とことん突き抜けて実行していくことで、


どんな困難にも逃げない強さが、

人より少しだけ超越したところに到達していくのかと思いました。



このメンタリティがいかに素晴らしいことか。



手を抜くとか、さぼるということではなく、


正面切って向き合うことがしんどくなることがあります。


そういうとき、人はどこかで息抜きをしていると思うんですよね。


それは決して不真面目な精神からではないことです。


いつも100だと余裕がなくなることだってあります。

そうなって苦しまないためにも心のバランスをとっています。


大事なときに100を出せるためには、

いつも高いアンテナを張り巡らしているくらいでなければならないですが、


たとえ、大事なチャンスを逃したとしても、

自分が息抜きをしていたときには、


「また次の機会があるさ」と思うことで乗り切ります。


本気でその大事なチャンスを掴みたかったら、

もぎ取ってくるくらいでいなければならないのでしょうか。


私が凡人だから出来ないだけなのかもしれない。



「あきらめがいいのか」

「求め方が弱いのか」



この方とお会いするたびに思うことは、

オーラがすっごいな~ということです。


笑顔がキラッキラしています。


まぶしい!!


(頭が。。。とか言っていませんよ)



この方に取材をさせて頂いた際、


「よく講演では


『今からあなた方の命の時間を頂きます。


僕も同じだけの命の時間を使って話します。


お互い命懸けなんです』と伝えてから話します」


と言われ、


「あなたの取材もその精神性は変わらないです」


と宣言されてインタビューを受けて下さいました。


私も命懸けでインタビューさせて頂きました。



この方が真剣に私に向き合って下さっていると思えたのは、


「あなたは僕のことを良いように思い過ぎているよ」と言われたことです。



「僕は出来が悪くてお寺でも問題児だよ」


また、周囲からはこう言われてきたと言っておられました。


「おまえ、少しはこうしたらどうだ」



人から注意を受ける=出来が悪い


そう思うことでさらに現状をよくするための努力を

重ねてこられたのかもしれませんし、

自分がこうだと思ったことに対して何事も真剣に取り組み、

実行力があり結果を出すことで、


周囲から認められる存在になっていくのかと思いました。


それでも若い頃の話を伺うと、

結構派手にお坊様らしからぬエピソードが登場するので、


どこかでこの方も息抜きをされているけれども、

私が知らないだけなのかもしれませんね。



「良いように言い過ぎだ」と言われた私は

思っていることを正直に伝えました。


「それでも、まだ○○さんだからこそできるような(具体的に○○のような)

お役目があるのではないですか」


それに対しては、

「わかっているよ」とも。



大学院を出て、著書も多数出され、
全国を説法にまわる人気僧侶さんという
私がもつこの方のイメージは事実でもあるんですよね。


この方は人から否定的に言われてきたことがあっても、

いろんなことが叶えられているんです。


「やりたいことをやってこれた」と言っておられたな。。。

「これから学びたいことが山積している」とも言っておられました。



「出過ぎた杭」



この方はそこまで到達されている方だと思っています。





それでは今日も一日、

皆さまが幸せでありますように。