中宮寺の三寺宝が勢ぞろい | ドット模様のくつ底

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【中宮寺】


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・平成24年2月21日~3月15日


天寿国繍帳模写軸装(大正時代制作) 奈良国立博物館より一時借受
(終了)


・平成24年3月16日~4月17日


天寿国繍帳(国宝) 奈良国立博物館より一時返還


・平成24年2月21日~3月31日


文殊菩薩立像(重要文化財) 東京国立博物館より一時返還




3月16日(金)~4月17日まで国宝の天寿国繍帳が、

さらに!!

~31日(土)までは、文殊菩薩立像も七年ぶりにお戻りになられているんですね~。




・菩薩半跏像(アルカイックスマイルの如意輪様・国宝)

・天寿国繍帳(本物・国宝)

・文殊菩薩像(紙製の重文)


中宮寺の三寺宝が七年ぶりに揃う貴重な拝観期間です。


こちらの文殊菩薩立像は紙で出来た仏像の中で、

唯一の重要文化財なのだそうです。



通常、中宮寺本堂には菩薩半跏像(寺伝 如意輪観音・国宝)がおられ、

天寿国繍帳(レプリカ)が展示されています。



奈良はこういうところが親切だと思うのですが、

ボランティアガイドさんがおられるので、


堂内で今回の特別展示についての

解説をして下さいます。




↓こんな感じのガイドが入ります。



以下、2月にUPした記事です。

(資料をもとに書いているので、こちらの方が詳しいかも)


天寿国繍帳とは、

「聖徳太子が往生した天寿国のありさまを刺繍で表した帳(とばり)」のことで、


聖徳太子を偲んで妃の一人である橘大郎女(たちばなのおおいらつめ・

推古天皇の孫)が采女などにつくらせたものです。


「天寿国」とは諸説ありましたが、

現在は阿弥陀如来の往する「西方極楽浄土」を指すものという説が有力です。


こちらの刺繍には制作の事情を記した銘文が表されています。


「天寿国曼荼羅繍帳銘」は、


当初、100個の亀形が表され、その甲羅に4字ずつ計400字の刺繍がされていたと

推定されています。

(亀甲銘と言われる)


飯田瑞穂氏の考証によって400字の文章に復元されています。


その復元案によると、銘文には前半に聖徳太子の一族の系譜を述べ、

後半に天寿国繍帳制作の事情を説明しているそうです。


(法隆寺ハンドブックに400字が掲載されています)


そのうち、現存する亀甲銘は4ヶ所です。


・部間人公

・于時多至

・皇前日啓

・仏是真玩



その後半部分の大意は以下の内容となっているそうです。

辛巳の年(推古天皇29年・西暦621年)12月21日、聖徳太子の母・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ、間人皇后)が亡くなり、翌年2月22日には太子自身も亡くなってしまった。これを悲しみ嘆いた太子の妃・橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)は、(祖母にあたる)推古天皇にこう申し上げた。「太子と母の穴穂部間人皇后とは、申し合わせたかのように相次いで逝ってしまった。太子は天寿国に往生したのだが、その国の様子は目に見えない。せめて、図像(かた)によって太子の往生の様子を見たい」と。これを聞いた推古天皇はもっともなことと感じ、采女らに命じて繍帷二帳(ぬいもののかたびらふたはり)を作らせた。画者(ゑがけるもの、図柄を描いた者)は東漢末賢(やまとのあやのまけん)、高麗加西溢(こまのかせい)、漢奴加己利(あやのぬかこり)であり、令者(つかさどれるもの、制作を指揮した者)は椋部秦久麻(くらべのはたくま)である。




古記録に基づく考証では、


制作当初、縦2メートル、横4メートルほどの帳2枚を横につなげてあったものと

推定されていますが、


現存するのは全体のごく一部であり、

さまざまな断片をつなぎ合わせて額装仕立てとしたものです。


古記録の一説にすぎませんが、鎌倉時代の文永11年(1274年)、

中宮寺の中興の祖とも称される尼僧・信如により、

法隆寺の蔵から再発見されたと記されています。


中宮寺開基である間人皇后(太子の母)の命日を知りたかった信如は、

刺繍された銘文を解読した結果、12月21日であると知ることができ、

そして、この太子ゆかりの曼荼羅と同じ図柄の模本を新たに作らせ、

建治元年(1275年)に開眼供養を実施。原本、模本ともに

中宮寺の寺宝となったそうです。


(これを否定する学説もあり)



原本、模本、こちらの新旧2つの繍帳ともに、

数百年後の近世には破損が進み、断片化していました。


天保12年(1841年)の『観古雑帖』によれば、

安永年間(1772 - 1781年)に残った断片群を寄せ集めて掛軸装としたとされ、

この掛軸装の状態で近代に至りました。


そして明治30年(1897年)、古社寺保存法に基づき、

天寿国繍帳が当時の国宝に指定された際の指定名称は


「天寿国曼荼羅図刺繍掛幅」でした。


こちらの掛軸は大正8年(1919年)、額装に改められます。


昭和27年「、「天寿国繍帳残闕 一帳 附同残片二」

(てんじゅこくしゅうちょうざんけつ 1ちょう つけたり どうざんぺん2)という名称で、

文化財保護法に基づく国宝に指定されました。


(通称:天寿国繍帳、天寿国曼荼羅繍帳)


ガラス張りの厨子に納められ、その後中宮寺本堂内に安置されていましたが、

保存の万全を期すため、


昭和57年(1982年)より奈良国立博物館に寄託され、

現在、本堂にはレプリカが置かれているんですね。


奈良国立博物館よりお帰りになられる国宝「天寿国繍帳」の

特別展示は3月16日(金)からです。



中宮寺入山料は特別展示期間中も据え置きの大人500円となっています。



それでは今日も一日、

皆さまが幸せでありますように。