上田城☆ | Date na ブログ

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2016年4月9日

16:00
上田城に向け屋代城を出立〜
馬を走らせ、今や人気スポットの上田城に到着車
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時間も時間だし、馬留まで長蛇の列(この場合は長馬の列か?笑)…
半分諦めながらも、他にやることもなく野戦の備えにもまだ早いため、とりあえず小泉曲輪の馬留に向かう馬の列の最後尾に付いてみる…

すると、どうやら飯屋の主人らしき町人が脇から現れ、愛馬の名札を見るや
「おー!はるばる江戸からおいでになれましたか!遠方から来られたお侍の馬は、私の家の馬留にお繋ぎくだされ」
と…
どうやらこの日は飯屋は休みらしく、遠くから戦に来た者の馬を無賃で預かってくれるらしい!

これ幸いと馬を繋ぎ、主人に礼を言い上田城の西、“西虎口櫓門跡”より、ついに入城!!
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一般観光客が喜びそうな遺跡はあまりないものの、城郭や櫓など、当時を忍ばせる雰囲気はしっかり感じ取れます。

そして…何より桜が綺麗!!
城内を埋め尽くすような桜に暫し圧倒された!!
むむ…!これはかの戦上手、真田昌幸の戦略か!?
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しかし…花見を目的に城内に侵入しておった雑兵共や、それらをエサにしようと商売しておる屋台衆が雰囲気を壊し、多少目障りではあったが…苦笑

そして本丸跡を抜け、東虎口櫓門を内側から潜ると左手の石垣に大きな真田石が現れる!!
この石、真田昌幸が築城の際、柱石として据えた高さ約2.5m、横3mほどの城内で最も大きな石だそうで、その後嫡男の真田信之が松代城へ移る際に昌幸の形見として持って行こうとしたが、数万人の人夫の力でも動かなかったそうな…
松本城の玄蕃石もそうですが、お城の石垣には色々逸話があるものですね〜(^^)
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そして、しばし城内を探索していると…
何やら異彩を放つ明らかに名のある者と思われる御仁の後ろ姿が!!
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正面に周り込み、振り返ると…
この鹿の角の飾りに六文銭の前立て!!
かの真田信繁公が城内を見回っておりました!
「敵の大将首!!」と思う間もなく、存在感に圧倒され思わず見惚れてしまいました。。。(決して、傍のくノ一に見惚れたわけではありません!)
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その後、堅城であった上田城の特徴であり、当時は千曲川が流れていた尼ケ淵へ降りてみると…
なんとも高い石垣が!!
確かに千曲川を渡ってすぐこの石垣が迫れば、例え3万の徳川秀忠軍であっても攻め落とすのは容易でないだろう…
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そんな事を思いながら、日も落ちてきたので夜桜を愛でつつ
一旦、城下に出て夕食を取る店を探します。
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と、言いつつ実は夕食はとある店に決めてきました。
以前に、某もしもツアーズという忍びから得ていた情報で、城下にある「檸檬」という中華料理店の「あんかけ焼きそば(780円)」♪
商店街の殆どが閉店してしまっている中でなんとか潜入し、食することが出来ました!
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と、まぁ早朝からの進軍の疲労をこの美味は焼きそばで癒され、明日の戦に備えこの日は城下の宿で休むことにします。