普段は江戸城下の銀座御門付近で日々職務に従事ているのですが、ふと思いました。。。
「あれ?もしかして近い?」
と、思い“舞黒柔家(まいくろそふとけ)のうぇぶ”という忍びの報告を見てみると…
あるではないか!?
汐留にある日本てれびと申す瓦版屋の屋敷に、某が憧れている仙台の陸奥守殿の上屋敷跡のお触れ書きが!!
…と、いうわけで仕事後に早速、日テレに行ってみました(^^)
徒歩…10分!!近っ!?笑
そして、ありましたよ〜♪
伊達家上屋敷跡の史跡が!!(^^)
元々、伊達政宗好きが昂じて歴史や、城が好きになった私としましてはて…もうまさに聖地です!!
この水玉の紋様に既に「萌え〜」です(≧∇≦)
政宗公の時代の上屋敷は今の日比谷公園あたり。
それは知っていたのですが、その頃からこのあたりも伊達家の土地として割り当てらてたようで、同時期に下屋敷として機能していたみたいです(^^)
そして何より、これを読んで驚いたのがあの赤穂浪士が吉良邸から泉岳寺に行くまでの道中、この伊達屋敷からお粥を振舞われたそうな!
このエピソード、当時の情報伝達の凄さを物語りますね〜
あと、江戸の街に「赤穂浪士…そろそろやるぞ!?」って空気があったんでしょうね^^;
そして、日テレを一周して新橋と汐留を結ぶ通路の日テレ正面にも史跡が!(^^)
屋敷図まであって、当時の様子に思いを馳せました(^^)
今度は政宗公の頃の上屋敷に行ってみたいと思いま〜す♪