本宮城with人取橋古戦場跡 | Date na ブログ

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二本松城を出立して、本宮城跡に向かうも例のごとく地図に載っていないため、とりあえず本宮駅を目指します。

過去に本宮城を訪れたという忍び(いんたーねっと)の報告で、ここではないかなー?という愛宕山を発見。
安達太良神社の石段があるが、駐車するスペースがないため、とりあえず山を一周することに。
するといかにもというような道が現れ…奥に入っていくと偶然(?)神社の駐車場が!笑
とりあえず、そこに愛馬を繋ぎまずは神社に向かいます。
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まずは、この戦の安全を祈願し、神社の奥に続く脇道を進みます。
すると、出てきたではありませんか!
上下の曲輪に繋がっているような道が!!(^^)
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上の曲輪に行くと広めのスペースがありました。
恐らくこの辺りが本丸(本陣?)だったのではないでしょうか?
そして、更に奥に続いている道を行くと堀切を発見!!
間違いなく城だ!と、興奮しながらその奥の曲輪に辿りつくと…
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出ました!当たりです!!
(まぁ、わかってたけどねぇ〜♪笑)
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確証を得て、本曲輪に戻り下へ降りるとここにも広めの曲輪がありました。
公園になっていますが、遺構はしっかり残っています。
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そして、城跡といったらテッパンの矢竹!笑
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更に下に降りると帯曲輪があり、山の高さと大きさからすると、結構な曲輪の数があるように感じました。
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と、1度来て見たかった小生にとっては物語の中の城であった本宮城に入城した興奮も冷め止まぬ中、本宮城を出立し(史実なら観音堂山に布陣をしたのだけど…)決戦の地、人取橋の古前場に向かいます。

本宮から国道4号線を江戸方面に進み、Uターンする形で逆側車線沿い畑のど真ん中、信号もない小道を曲がっていくと…
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ありました!
意識していないと通りすぎてしまきそうな碑が。
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周りには川らしいものもなく、実際の人取橋の場所とは少し違うのでしょうが…なんか、感無量です(T ^ T)
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そして…人取橋の史跡の隣には、この地で壮絶な最期を遂げた老将鬼庭左月をはじめ、伊達家臣400余人の墓がありました。
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手を合わせ左月入道様にご挨拶をし、次は…
この人取橋の合戦より4年後、伊達政宗公が奥州の覇者となる戦の前夜、自軍の家臣共を鼓舞したであろう猪苗代城へ、いざ参らん!!