旧約聖書だっけ?「ノアの箱舟」の話。
ノアは 洪水が来る!!
世界が呑み込まれるほどの大洪水が来る!!叫び続ける。
でも 誰も耳を貸さずに享楽的な世界は何も考えない。
やがて・・・止むことのない雨 襲いかかる洪水・・...
ノアが作った箱舟に乗り込んだ家族と
すべてつがいの動物たちだけが難を逃れ、
生き残り 再び世界に満ちて行った・・
似てない??
ノアっていたのかもね。本当に。
これ俺の妄想ね。
ノアの一族には口伝があった。
「1000年に1度 10000年に一度
必ず世界を覆う大洪水があり 災害があり
それに備えよって。」
ノアの一族は 代々それを叫び続け 初代 2代、3代目くらいまでは
周りにも賛同し 共に備え叫ぶ人も仲間もいた。
でも その仲間はやがて減り やがて忘れられ
1000年がたち 叫ぶのは ノアだけになっていた。。
そればかりか、叫び続けるノアの一族 またノアは
「変わり者の一族・末裔」扱いをされていく・・
今 東北に 現代のノアと呼べる人たちがいます
箱舟の舳先と言える場所なのかな・・
大切な家族を失い
失意の中 様々な活動や叫びを起こし
社会に訴え 想い届かなくても
今も この悲劇を語り 知ってもらい
二度とこのような悲劇が起きないように
伝え続けている
七十七銀行のご遺族 田村さん達。
七十七銀行は
この写真の真ん中あたりにありました。
震災発災時
多くの人々 他の会社の方々が
この写真を撮った 堀切山・女川地域医療センターの高台に
駆け上がる中
銀行の指示で 「屋上避難」を余儀なくされ
屋上に上った全員が流され
12名の方がお亡くなりになった。
いまだ還らぬ行方不明者の方もいる。
ご遺族の方に2年位前だったかな 去年かな?
一度 銀行跡地でお会いして
お話を伺ったことがある。
正直に書きます。
ご遺族の方は この事故を裁判に訴えるために準備をしていました。
署名を集めてらっしゃいました。
お話の中で
「このリアス式海岸の形状では 津波は
想定外の高さに遡上することは
容易に考えられ・・」
と仰っていました。
でも 僕には その訴えには
「無理がある・・」そう思いました。
何故なら 20mを越える高さ
この高さを越える津波なんて
映画の世界 SFの世界の話だと思った。
2011年を経験した俺らは
今は、その高さまで 津波は来るんだと
現実を見て知ったけど
20011年以前の日本人の
誰が こんな高さの津波が来るなんて
13mの高さのビルの屋上が
セイフティーゾーンじゃないなんて
誰が想像できた??
そう思った。
正直に・・・
でも・・何かが引っ掛かり
今年の初めに 明治・昭和の南三陸の
大津波に関する 昔のルポや記事を調べて読んだ。
すると・・
20m超えの
津波は来ていた。
過去に何度も
何度も来ていた。
宮城県の正式な
調査報告にも
その記録はあった。
そう・・
僕ら日本人は
津波の遡上高さが
こんなになることを
過去に経験して
知っていた。
それなのに 震災以前の
女川 七十七銀行周辺の浸水予想高は
5.3~5.9m
低すぎるだろう!!
ましてや この数字があるにもかかわらず
銀行側は 浸水高を1~2mと
より低く見積もり
災害マニュアルを策定していた。
裁判で裁判長は
「屋上を超えるような20メートル近い巨大津波を予見することは
困難であり、屋上へ避難するという
支店長の判断が不適切だったとはいえない」
ラジオでこの判決を聞いたの覚えている。。。。
違う!予見できてたんはずなんだよね。
知っていたはずねんだ。
銀行が知らなくても
建築確認や防災指針を作る
行政側は 知っていたんだ。
経験していたんだから。
でも じゃぁ何故こんな悲劇に?
それは 前回の記事の様に
想いが 言葉になり
言葉はやがて文字になり
形骸化していった・・
本当はモニュメントじゃない
「人のチカラ」で
伝えなくっちゃいけなんだよね
モニュメントも大切
でも それを語り継いで
訴え続け
叫び続ける人々がいなくちゃ
同じことが繰り返される・・・
日航ジャンボ機の事故のご遺族は30年伝え続けた。
空の安全を 会社の在り様を。
大川小のご遺族も4年半叫び続けている。
そして 七十七銀行のご遺族の田村さんたちも・・
おそらく舌筆に尽くしがたい想いもあったはずだ。
非難も 無理解もあるだろう・・
ノアの様に 好奇な目 冷たい視線もあるだろう・・
でも・・
伝え続ける・・
悲しみを 無駄にしないために
失われた命を 1000年生かすために
叫んでる。
田村さん達は
僕らの心の中に
箱舟を作り続けてくれている。
僕らは それに乗り込むか否か・・
それは 僕らの課題なんだ。
今回の祈りプロジェクト
このイベントの発想って
実は、この七十七銀行の事故も
僕の中で大きく影響しているんだ。
箱舟を無駄にしないために。