2018年6月19日 桜桃忌 太宰治「人間失格〜朗読劇」その② | おおともゆうのブログ

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こんにちは! シンガーソングライター、おおともゆうです。
このブログでは日々の生活の中で遭遇する摩訶不思議中で超常現象をご紹介致します。


さうして午後六時三十分。
定刻通り開場したのである。

私はどうしても劇場内に物語の時代設定である
昭和5〜7年の雰囲気を醸し出したく
戦前〜戦中の日本の歌謡曲の入ったレコオドを
見つけるべく、
三鷹中央通りのレコオド店を奔走した。

まもなく見つけると蝦蟇口から小銭を取り出し
劇場へ向かう道すがら、我が母校である
日本大学のH教授とばったり出会った。

「君やっぱり着物似合うね。
さすが江戸っ子というより、
腹が少し出てるから似合うのだね。」

教授は物事をストレイトに言う性である。

「今日は楽しみにしているんだ。
なんせ人間失格を読んだのは学生の時だからね。
もうすっかり忘れてしまったよ。」

来賓が楽しみにしているという報告ほど
演者を鼓舞するものもないのである。

裏通りで煙草に火をつけ
吸い終えると2人して劇場へと向かった。

およそ十分ほど遅れたが
午後七時四十分
無事開幕した。

電気ギター二本の伴奏音楽隊
cosmo confusionの激しい電子音と共に
私扮する主人公のはしがきが早口で
まくしたてられた。

前奏曲はイギ・ポップの
「生きる為の欲望」である。


私は、その男の写真を三葉、
見たことがある!!



まず讀者の皆様を驚かせてはいけないので
先に述べておく。

人間失格はコメディである。

そのことを念頭に考えて頂くと
このブログも誠円滑 表層から上滑りに
スムウスに進むのである。

その証拠に
チャプリンやキートンの映画を挙げてみる。
主人公一人の所為で、周りが凡て振り回され
崩壊されてゆくのである。
無論主人公は自分以外見えていない。
それが傍観していて面白いのである。
そこまでするか。と。

悲劇的要素が多ければ多いほど
悲痛であればあるほど
どこかプッと笑えてくるのである。

人間失格にはそのようなキャラクタが
様々出てくる。
出てきては消えてゆくのである。

今回 太宰治を知るために
生前の太宰治と親交の深く
小説「メリィクリスマス」の少女
シヅエ子のモデルにもなった
林聖子さんが経営する新宿五丁目にあるバー
「風紋」にお邪魔し、色々と貴重な話を聞いてきた。御歳九十歳。

太宰治は常に自分より人に気を遣い
明るかったと。
では、筆者である私おおともゆうと
似ていたか?と聞くと。


全然似てない。


何故であろう。
少しショックであった。
やはり喜劇である。

背丈は同じくらいであったと。
地方のラジオ曲には太宰治の肉声が保存されていると聞いたが、少なくとも私の声には似ていないさうである。

それならば
私の思う太宰治像でやってみようと。
とにかく目の前にいるお客様に

太宰治はこうなんだ!
これが太宰治なんだ!
さうなんだ!これが太宰治なんだ!これが大庭葉蔵だ!

と、堂々と演じ切れば
さう見えないこともないでもあるまいかと。
そう密かに決心したのである。

そして

はしがきを駿馬のごとく
走り読み終え、客席を見ると


なかなか満員御礼。


大変嬉しく思った。
ここから二時間強この場を小説の中へと
誘うのだと思うと、変に安堵にも緊張にも似た
不思議な優しさに包まれた使命感に震えたのである。



そしてこの次が少し特徴的なのであるが、
今回それぞれの演者が音楽家ということもあり
各キャラクタの心情に準えた
テイマ曲を披露したのである。


大庭葉蔵のテイマ


いくら頑張っても何も変えらりゃしない
いっそ今日は沈んでしまおう。
いくら悩んでも足元がすくわれるだけ
どうせさうさ 自分のせいさ。


約四分間の曲を歌い上げると
驚きと賞賛にも似た拍手が自然と起こった。




第一の手記

恥の多い生涯を送ってきました。
自分には、人間の生活というものが、
見当つかないのです。



この部分で物語のこの先が凡て決まる。
様々な朗読を聞いた。
その凡てが暗く平坦で、内省的な重く掠れるやうな声であった。


その逆でやった。

人を嘲るやうな
小馬鹿にしたやうな
それでいて本当に
私には人間の生活が分からないのであるから
どうぞこれから私を思う存分お笑いください。

というようなコミカルに演じたのだ。




私は深川は木場生まれ木場育ちの江戸っ子である。普段は早口で滑舌は非常に悪いのだ。
どことなく江戸落語の要素が感ぜられたと
後々様々な方から言われた。

さう。これはある意味落語的な部分も多く含んだ作品である。
人間の業を肯定する。
それが落語である。とは立川談志の言葉だが、
まさにそれに近いものが頻繁に起こる。





第二の手記

ずっと道化を演じて
周りはおろか
家族までをも騙し続けてきた大庭葉蔵が
背後から真実の言葉によって突き刺される
名場面。

竹一の
「ワザ。ワザ」

きつね君によるこの一言で。
物語が急展開を迎える。


その直後
きつね君による竹一のテイマ曲が演奏される。


きつね君(きつねワゴン)のツイッタを見てもらえると分かるのだが、
彼自身 太宰治的な要素を多分に含んだ人物である。
故にこの楽曲は非常に面白かったのである。




さうして次の場面。
原作フアンなら誰もが好きであらう。
竹一に取り入るために大庭が自分の部屋へ招き入れ、耳かきをしてあげるシインだ。


「お化けの絵だよ。」


「おれも、こんなお化けの絵がかきたいよ。」


時間にしてわずか数分
しかし、きつね君の静かな
熱のこもった演技と声によって
劇場はさらに物語へと浸水していったのである。



そしてそれに負けじと声をわなわな震わせ
大庭葉蔵の

「僕も画くよ。お化けの絵を画くよ。地獄の馬を、画くよ。」


さうして
竹一とのシインが終わったのである。


その③へ続く。。。



次 堀木正雄登場。


撮影は全て Nobuaki Saito 氏による。