北朝鮮工作員の日本においての活動基盤作りについて | ACT FACTORY TOPIX公式ブログ

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映画「かんてんな人」「てんせいな人」「あほんだら〜かすぅ〜」を始め、現代社会のタブーに大胆に切り込んだ映像作品に取り組む異色か先進の映像制作集団「ACT FACTORY TOPIX」の公式ブログです。

 終戦後、朝鮮半島の北部にはマルクス・レーニン思想を柱にする社会主義政権が樹立され、その後朝鮮戦争の休戦を経て、朝鮮半島の38度線以北を朝鮮民主主義人民共和国、以南を大韓民国と分断された状態となりました。簡単ではありますが、そのように自分は理解しています。
 現在でも朝鮮戦争は終結していません。
その状況の打壊と戦争に勝利するために、在日の総連関係者に、韓国でのテロ活動、日本人拉致での工作員育成、拉致実行、日本人に成り済ましての情報収集の強要などを選択したようです。少しでも北の権力とその指導との連携が迅速にとれるように、総連支部を日本全国に作らせ、民族教育での金日成主義チュチェの精神、朝鮮語の徹底的な教育と何かにつけて、北朝鮮工作員の密航の際には完璧な対応ができる環境を整えて来たようです。
 実際東京の総連中央には平壌の直通電話もあると聞いています。
そういった経緯の中、日本に対しての工作活動をもっと優位するために1950年代から1980年前半にかけ、一方通行的な帰還事業をその当時の総連の議長韓徳銖(ハン・ ドクス)を中心に展開せよ、とおそらく金日成から直接命令があったと思われます。金日成が帰還事業を熱心に推進したのは在日に対する工作活動の強要の為のカード、人質に使うためであったと思います。少しでも在日を工作員に仕立て上げられる可能性を高める手段であったと思います。頭数がたくさん居ても国家の為に忠実、冷酷に犯罪が出来る人間はそうそういるものでないことを予想してでのことだと思います。
実際自分の留学同の同期の友人に北に帰国した親類縁者がいても、そいつ自身が有能ではないので工作員の対象にもなりませんでした。その在日の帰国者との契りの深さ、有能さを労働党が観察し、適格者を辛光洙(シン・グァンス)に伝え、帰国者の手紙を見せて協力しなければどうなるのかという、無言の圧力をかけ、土台人に仕立て上げていたようです。
 辛光洙(シン・グァンス)は日本における工作活動の中心人物でした。
これらの北の行動はどう考えても非人道的で強要される在日も生きた心地がしませんし、失敗は許されない訳です。
その後の拉致事案もいろいろと調べてみると、1970~80年代にかなりの件数が発表されているようです。帰還事業での工作員の獲得ができ、日本での反社会的な団体の協力が可能になった証だと思います。福井県小浜沖での密航の航路を確立したことからもそうでしょう。
 1985年 辛 光洙(シン・グァンス) が韓国ソウル市内で逮捕されました。
自分は1989年2月に上京しました。その当時自分のボロアパートの近所に総連関係者が営む建築事務所があることを知っていて、何度が出入りしたことがありました。
単に遊びに行っただけです。その辺りに2000年位まで住んでいました。近くに行きつけの飲み屋があり1週間に一度くらいのペースで行っており、多分1993年くらいだったと思いますが、マスターと北朝鮮の話しになり「テレビに映っていた、韓国でスパイで捕まった人、どこかで見たことあると、よくよくかんがえて見ると、お客さんでびっくりしましたよ」と。
70年代後半~80年代初頭のことであったようです。その居酒屋のマスターはお客を名前で覚える方で「原さん」と言っていたように記憶します。
至ってもの静かで礼儀正しい方だとも言っていたと記憶しています。1993年当時、そのお店は20年以上前から商売していたようですし、辛 光洙(シン・グァンス)はその当時東京に潜伏していたものと考えられます。それに総連関係の建築事務所の関係者を土台人に仕立て潜伏していたのではないでしょうか。