自分の強みに向き合う機会をいただいて
自己との対話をしている今
以下為末大さんのXでの呟きは
対峙を深める更なる智恵となってます
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・自分は何が好きか
・自分は何が得意か
・自分は社会にとって何者か
個人の戦略は全て「自分とは何者なのか」が出発点です。これがわからないとどのやり方も今一つうまくいかないと思います。
成功は「自分の使い方を理解する精度」にかかっています。
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自分は何者か?
この本質を見ようとしていく時、為末さんは、アスリートのセカンドキャリアを支援していていい質問を思いついたことがあると言い、その質問は「あなたの競技、スポーツの名前を使わないで、自分がやってきたことを説明してください」というものだと紹介してます。
すなわち、為末さんであれば陸上とハードルを使わないで自分が何をやってきたかを説明する。このプロセスによって、表面ではない自分がやってきたことを考えることができるのだと。ちなみに為末さんが導いた自分の本質は「思い込みの打破」だと。
自分の強み。こうして見つめていくプロセスを、しばらく強度を上げていこうと思ってます。
ご興味ある方は、以下にシェアする為末さんの言葉を浴びてみてください。
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#為末大 #明言 #自己の本質
↓以下、為末さんの言葉↓
長文ファンの皆様おはようございます。
個人の戦略は自分を知ることから出発すると私は考えています。しかし、これが本当に難しいです。自分は三つの組み合わせで決まっています。
・自分は何が好きか
・自分は何が得意か
・自分は社会にとって何者か
を理解しなければならないからです。前者二つはよく言われるので考えたことがある人もいますが、三つ目を理解し戦略を立てられる人はそう多くありません。なぜなら表面に見えている姿にどうしても自分も他人も騙されてしまうからです。
私の場合は、表面的には元陸上選手で、あとはいろいろおしゃべりしている人です。時にはビジネスをやっている人に見えるかもしれません。一枚剥がしてみると、戦略的思考の人とか、人の心に興味がある人とかそういう風に見えるかもしれません。さらにもう一枚剥がしてみると、走る哲学者とか、熟達に詳しい人に見えるかもしれません。しかし、さらに一枚剥がすと宗教家に見えるかもしれません。
私はよく取材を受けますが、どのレイヤーで捉えられているかで、陸上のことを聞くのか、戦略を聞くのか、熟達のことを聞くのか、赦しや苦しみのことを聞くのかが変わってきます。
表面に見えている自分は氷山の一角です。職業も一つの表れに過ぎません。技能もそうです。この部分しか表に見えないので、何も考えなければこれを自分だと捉えます。これでは自分が何者かの本質が見えません。
小泉進次郎さんのパフォーマンスが話題になりました。私にとって小泉さんは「当たり前中の当たり前をわかりやすい形で届ける」役割だと考えています。ですから世の中がぶれればぶれるほど、強みが発揮されます。政治家でもコメンテーターでもアーティストでも、その本質は変わらなかったと思っています。
自分の本質を掴み、その役割が最も生きる場所で、最も生きる方法を、最も生きるタイミングで投下する。これが大事だと考えています。
自分とは何者か。これが定義できれば、振る舞い方は自ずと見えてくると思います。