インド仏跡巡礼⑫ 四門出遊(しもんしゅつゆう) | 創業280年★京都の石屋イシモの伝言

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前回、カピタ城で何不自由なく、優雅な生活を送っていた王子
(釈尊)が、家族も財産も、国の未来も捨て、出家したのには、
“或るキッカケ”があった、と記した。

もちろん、人が生き方を変えるのは、よほどの事で。衝動的
な原因(キッカケ)だけでなく、積み重なった要因(キッカケ)
や因果などが、複合的に組合わさってのことだと思うが‥

少なくとも、王子(釈尊)が修行者を目指す“キッカケ
なったと思われるものに、 “四門出遊と云う話がある。



王子(釈尊)は、幼い時から文武両道に優れた、イケメン男子
だった。ようだ (何しろ大昔の話なので、断定はできない)

その反面、心優しくナイーブな面も強く、あまり外には出ず、
物想いにふける、沈思熟考型の人間でもあった。ようだ^^

或る日、王子は庭先で、虫を小鳥が啄ばみ、さらにその小鳥
を鷲が捉え、飛び去るのを見て、世の無常を知ったと、云う。

そんな純粋で、部屋に閉じこもりがちな王子を見て、心配した
父の浄飯王は「たまにゃ、外の空気吸わなアカンよ」と諭す。

渋々、王子(釈尊)が外出する。そこから、この話は始まる‥

               ◆

或る日、王子(釈尊)がお共を連れて、「ほなら、行こかぁ」と、
東門から出ると、杖をつくヨボヨボの老人がいた。そこでお共に、

「アレは何?」と尋ねると、人が “老い” た姿です、と応えた。
王子は即、外出を中止。部屋にこもり “老い” の辛さを考えた。

次の日、王子が南門から出ると、病に苦しむ人がいた。お共に、

「アレは何?」と尋ねると、人が “病んだ” 姿です、と応えた。
その日も外出は中止。部屋にこもり “病む” 苦しさを考えた。

さらに、今度は西門から出ると、人が埋葬されていた。お共に、

「アレは何?」と尋ねると、人が “死んだ” 姿です、と応えた。
本日も外出中止。王子は部屋にこもり “死ぬ” 怖さを考えた。

何不自由なく育った王子の心に、老・病・死への認識が生れ、
自分も逃れられない「苦」を抱え、生きる「苦しみ」を覚えた。

誰もが、思い悩み、苦しむ「四苦八苦」への、気づきである。

そして最後に、王子(釈尊)が、北門から出ると‥

そこには、立派な出家修行者が立っていた。
まるで、泥池に美しく咲いた、蓮の華のように。神々しく‥



王子(釈尊)が「アンタは誰?」と、出家修行者に尋ねると、

「私は生死の苦しみを超え、悟りを開く為に修行する者です」
と応えた。瞬間に王子(釈尊)の迷いは消え、光明が差して、

「いつか、私も出家修行者になりたい」と、誓うのであった。

メデタシ、メデタシ。

これが、今も。世に伝わる “四門出遊” の一幕である。

と、云う事で。さらに、話は‥


インド仏跡巡礼⑬へ、続く