インド仏跡巡礼⑭ 煉瓦(レンガ)工場 | 創業280年★京都の石屋イシモの伝言

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私が生まれた前の年(昭和30年)に、女優の中村メイコさんが
歌って、ヒットした歌謡曲に「田舎のバス」と云うのがある。

バスガイドに扮した彼女が、台詞を交えて、コミカルに、

♪田舎のバスは オンボロ車♪デコボコ道を ガタゴト走る♪

と歌うのだが、その白黒映像を、以前に再放送でも視たのか、
微かにだが、少しくすんだ演奏と共に、脳裏に残っている。

ところで、此処インドの道を走るバスは、全然オンボロでは
無いのだが、デコボコ道のデコボコ度数は、ハンパではない。



上下、左右に脳ミソがカランコロン揺らされ、「田舎のバス」
を歌っている映像が、早送りで、何度も繰り返されるようだ。

そんな脳内刺激を受けつつ、車外の景色を見ると、永延と続く
菜の花畑の合間に、ポッツン、下膨れの大きな煙突が見える。

あの煙突は何?かと問えば、煉瓦工場の煙突だ、と応える。

成程、古代の遺跡も今の建物も、確かに煉瓦で造られている。
煉瓦工場は、あって然るべきだ。と、ガッテンするのである。

                  ◆

バスが走る道の周囲は、農家ばかり、近代的な建物など皆無。

目に入るのは、藁の家、木のバラック、煉瓦の建物である。

まるで、三匹の子豚の世界だが、農村が多かった日本も多分、
同じような風景が、最近まで、あったのではないだろうか。

最も日本では地震が多く、煉瓦の建物は見られ無いだろうが‥

実は日本でも明治期は、近代化の象徴として、新政府の権威
づけとして、モダンな煉瓦造りの建築物が良く建てられていた。

銀座を洋風化する都市計画が推進され、鉄道の開通にともない
駅舎(東京駅を初め)が各地で造られ、さらに行政や大学の建物、
アーチ型の橋梁などにも、煉瓦は数多く使われていた。けれど、

関東大震災で、壊滅的被害を受けてから、需要は激減した。

日本では一般化されなかった建築素材の煉瓦だが、腐食せず、
火にも強く、建築物を半永久的に残す利点は、石材に劣らない。



そんな煉瓦の歴史は古く、メソポタニアの時代から、だと聞く。

土を乾燥させ積む、日干し煉瓦は、紀元前4000年頃から作られ、
焼いて強度を高めた焼成レンガも、紀元前3000年頃には作られ
ている。これなら雨や水にも強く、手軽で最強の建築素材である。

煉瓦建築は、メソポタミアより後の、エジプトでも造られ、その技術
がインダスや、黄河流域、所謂、世界の四大文明の地に伝わった
ようだが、各地で自然発生的に、発展したと云う説もある。

何れにしても、偉大なる煉瓦の歴史は、古いのである。



そして、その煉瓦工場の煙突が、ポッツン、見えている。

削り過ぎた、細い鉛筆の先のような形で、地面から突き出てる。
周りには焼かれた煉瓦が大量に、雑然と積まれている。

近くでは、新しく工場の建物を増築しているのか、何人かの男達
が集まり、あくせくする様子もなく、少しずつ煉瓦が積まれている。


 

青空の下、のどかである。田舎のバスも相変わらずガタゴト走り、
デコボコ度数の高い、インドの道は、釈尊入滅の地へと続く‥

                       ◆

結局、この日は「クシナガル」での涅槃堂とラマバール最後の説法
地跡の見学ができず、そのまま、ホテルへ。19時半に到着。

今日の予定は、明日の早朝に変更となった。

インドに入って早くも、初日にして、予定は、未定。未定は否定となる、
“恐怖のインド時間” が動きだした。


インド仏跡巡礼⑮へ、続く