インド仏跡巡礼⑲ いざ、ヴァイシャリ | 創業280年★京都の石屋イシモの伝言

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◆京都の石屋 石茂 芳村石材店◆部録/石のセレナーデ
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昨日、時間の都合で回れなかった、クシナガルでの見学を終え、
ホテルに戻り、朝食をすませた後、9時20分にバスは出発した。 

濃い朝霧も消え、窓の外はまた、のどかな農村風景が流れている。

目指すはブッダ八大聖地の「ヴァイシャリ」と「ラージギル」である。

ヴァイシャリは、前回のブログ「自燈明 法燈明」でも触れたが、

最後の旅へ出た釈尊(ブッダ)が、この町で雨季の雨安居を行い、
その時、体調を崩し、自分の死について修行僧へ語った場所だ。

当時、此処は商業で栄えた美しい町で、以前から釈尊は、説法
などで良く訪れていた、お気に入りの場所だったようである。

病から回復して、ヴァイシャリを後に、旅だった釈尊(ブッダ)は、
これでこの町も見納めと、ゆっくり振り返ったと、云われている。

                ◆

現在、ヴァイシャリでの見所は何と言っても、あのアショカ王が
建立したストゥーパ(仏塔)と仏蹟地だった事を示す、石柱である。

仏教を“国を統治する基本”に据えたアショカ王は、釈尊(ブッダ)
入滅後に分骨された、八ヶ所のストゥーパ(仏塔)の内、七ヶ所の壺
の骨を再分配し、インド中に八万四千のストゥーパを建てている。

インドでは“数多い”事の喩えに“八万四千”と言うらしいが、
日本で言う、八百万(やおよろず)に、似ていて、面白い。

何れにしても、アショカ王が建てた数多くのストゥーパが、仏教の
教えそのものでなく、仏教に帰依させる装置(参拝対象)として
機能し、広く仏教を浸透化させることに、役だった事は確かだろう。

釈尊としては、釈尊亡き後、修行者は、他を拠り所とせず、また、
他の法を拠り所とせず、自らを拠り所とし、また、釈尊の法を
拠り所として、精進する事 
を願ってはいたが‥

釈尊入滅後200年以上を経た、アショカ王の時代の人が、仏教に抱く
思いの違いこそが、仏教の流れに支流化を及ぼしたのか、知らん。

 

ヴァイシャリのストゥーパも、そんな数多い参拝地の一つだが、特に
此処は、アショカ王の石柱が、綺麗な形で残されているので有名だ。

初日に、ルンビニで見たアショカ王の石柱は、天辺に飾られていた
はずの石造の馬が喪失していたが、ヴァイシャリの石柱は天辺に、
獅子の石造が綺麗な形で、ちょこんと、座っている。

どの、旅のパンフにも載っていて、とても愛らしい、ライオン丸である。

仕事柄、自然石に彫刻された、無垢の石仏や石造物を見るのが好き
だが、今回の旅では煉瓦の構築物や、金色の石仏ばかり‥

その意味では、ヴァイシャリの獅子に逢えることの期待は、大である。

予定では、ヴァイシャリまでは、188km。約4~5時間かかる。

途中で一か所、別のストーパも見学して、何処かで昼食もとった後は、
ヴァイシャリまで、一気に走るようだ。

ヴァイシャリの後は、今夜の宿泊地のラージギルへと向う。

ラージギルは、仏教が布教された町として有名だが、
其処までの距離も、なんと、165km.ある。 ネガイ~マシテ~、

ヴァイシャリ188kmナ~リ、ラージギル165km.ナ~リ
合わせまして~、本日の走行距離合計は 353km。ゴメイサン^^

丁度、江戸城(皇居)から名古屋城が、354kmで同じくらいの距離。
ナビによると、東名高速を飛ばしても、4時間29分かかる。

この、デコボコ道が延々と続いて、牛車や農業用車も併走する、
インドの交通事情で、本当に全部を見学して行けるんか?

今から走って、夕飯までに、ホテルに入れるんか?



聞くも恐ろしく、ガイドも素知らぬ、アルカイク・スマイルで‥
大きな疑問符を満載しながら、バスは、 いざ、ヴァイシャリへ。


インド仏跡巡礼⑳へ、続く