今日は「北方領土の日」で返還運動原点の地、根室と東京でそれぞれ大会が開かれた。

 私は東京の方に出席し、例年と同じで、この大会にずっと係わっている女性がいつもと同じ話を延々(えんえん)としていた。

 いかにして北方領土問題を解決するかの視点ではなく、郷愁(きょうしゅう)、哀愁、感情論を述べていたが、何百回、何千回、いわんや何億回述べても解決しない。要は外交努力である。

 ロシアが一昨年2月24日、特別軍事作戦を展開し、日本はG7(先進主要7カ国)のメンバーとして2月26日、共同歩調を取り経済制裁をし、日本がロシアに喧嘩を売った形になった。

 ロシアはすぐさま反応し、一昨年3月21日現在の状況下においては

①  平和条約交渉はしない。

②  ビザなし交流などの交流事業の停止。

③  北方四島における共同経済活動に関する対話からの離脱。

とロシア外務省は発表した。

 かつてクリミア問題の時、当時の安倍総理はオバマ米大統領から日本もロシアへの経済制裁に参加してくれと言われたが、安倍総理は「日本には北方領土問題の解決、日露平和条約締結の問題があり、アメリカと同じ立ち位置では動けない」と毅然と言われ、時間差を付けて対応した。そのことにより日露関係は未来志向で順調に動いて行った。

 ウクライナ紛争に関し、日本はすぐさまアメリカに引きずられる形で行動をとり、戦後最悪ともいえる日露関係になってしまった。外交には相手がある。日本の主張が通る外交はない。

 式典での挨拶で岸田総理も上川外相も挨拶したが、領土問題を解決して平和条約締結という政府の方針は変わらないとし、ウクライナのロシアの暴挙に制裁を行う。今の状況では墓参に重点をおいて交流再開したいという主旨の挨拶だった。これでは何のメッセージにもならない。ロシア側は当然の反応をしてくると感じた。

 戦後の国際社会の秩序は、戦勝国の考えで決まった。戦後の国際社会における諸手続きにより、今のようになったというロシアの言い分はその通りである。

 1956年、鳩山一郎総理の時、日本とソ連との間で、日ソ共同宣言で国交が回復し、その後、多くの総理、政治家の努力により、日ソ、日露関係は前進し、安倍晋三総理はプーチン大統領とで27回に渡る首脳会談をし、特に2018年11月、シンガポールにおいて1956年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速することで合意した。

 安倍総理が健康で、総理を続けていればと今もって(せん)のないことだが、大きなチャンスをなくしてしまったと悔やまれる。

 岸田総理も上川外相も墓参を重点に交流を再開したい旨のことを言っていたが、その前にロシア側に日本政府の姿勢、変化をしっかり訴えなければ何事も進まない。

 「ロシアへの制裁は今のまま厳しくやります。墓参は宜しく」というのは虫が良すぎると思うのだが。外交はそんなに甘くないと考える次第だ。

 口先だけで「元島民の切実な思いを」と言うが、元島民と一番会っている自負する私にとって、心のこもった言葉ではないと感じた。

 午後、帯広に飛び、足寄に向かい41年前、昭和58年最初の選挙から大変お世話になった黒田元啓さんのお通夜に参式し、心から感謝お礼申し上げ手を合わせた。

帯広から最終便で帰京する。

 

6日のコメント

 ひらけ日本さん、いつも含蓄(がんちく)のあるコメント有難うございます。鈴木宗男の生き様を示して参ります。

 ひでおさん、自然によって生かされていることを忘れてはなりません。

 松村訓明さん、正直に届出していれば何でもないことでした。法律を作っておきながら政治家が意図的(いとてき)に届出しないことは大問題です。

 無事これ名馬さん、祈りましょう。


※北方領土の日、北方領土返還要求全国大会