今週の「暮らしの古典」70話は「袖振る(結)」です。
今日、手を振り交わす動作を、あろうことか万葉人の袖振るに擬えて、
巻2ー207の人麻呂による「・・・・妻死之後、泣血哀慟作歌・・・・」にあっては冥界にまで至りました。
写真図 『萬葉集』イラスト
「泣血哀慟作歌」は、50年ほど昔、新米教師の時、
市岡で「天飛ぶや軽の道は・・・・」と授業した歌です。
『集成1』1977年は「妹の名はそのまま妹自身。呼び求めたその幻影に袖を振った」とも
それに先立つ『テキスト1』1971年は「生き返ることを願う宗教的呪術」とありました。
この段に至って、折口信夫の書に当たることになりました。
1927年1・2・11月*「国文学の発生(第四期)」に恋愛の成立条件について次のように記述しています。
*「国文学の発生(第四期)」:『折口信夫全集1』1995年、中央公論社
◆・・・・恋歌は、後に発達した唱和・相聞の態を本式とすべきではない。
生者の魂を身にこひとる事は、恋愛・結婚の成立である。
古代伝承には、女性と男性の争闘を、結婚の必須条件にして居た多くの事実を見せてゐる。
魂を「恋ひ取る」のが「恋」とでも云うのでしょう。
恋は上二段動詞「恋ふ」の連用形が名詞となった語「こひ」であります。
折口の引用の続きは以下のとおりです。
其為、万葉の如き後の物にすら、多くの挽歌が恋愛要素を含み、
相聞に挽歌発想をとつたものを交へてゐるのである。
取り上げた巻2ー207*「妻死之後、泣血哀慟作歌」は、
巻之二所載150首、うち相聞歌56首、挽歌207首中の挽歌の67首目に挙げられ、
以下、208、209:短歌、210長歌、211、212:短歌、
213 或本歌一首並短歌(214、215、216)と一連の亡妻歌群10首をなします。
*「妻死之後、泣血哀慟作歌」:『萬葉集一』日本古典文学全集2、小学館、1971年
歌群の冒頭に据えられているのが作歌の時系列の最初であるならば、
作者・人麻呂にとって亡妻の生死が不分明なる領域としての認識があったと考えます。
その認識でもって袖振を捉えたので
「生き返ることを願う宗教的呪術」「幻影に袖を振った」といった解釈がされたと考えます。
はたして、これらの解釈や如何?
以下、折口の霊魂観を生死を軸に追いますと、約10年後の*「相聞歌概説」1938年7月に
亡妻歌群10首を載せる『萬葉集』巻之二について言及しています。
*「相聞歌概説」1938年7月: 『折口信夫全集6』1995年、中央公論社
◆気絶したものも、喪心したものも、危篤の病ひに居る者も、*かうした方法で
救ふことが出来ると考へるのである。併し、之を挽歌と考へる人はない。
だが、挽歌と考へつめるのも、考へ足らない。
つまりは「こひうた」として、挽歌の方に広い利用範囲を持つたまでゞある。
引用箇所「*かうした方法」とは、
引用箇所前文にある「声を立てゝ死者の魂を「こひ」迎へる」方法を指します。
以下、これを承けて巻之二の構成が解かれます。
◆「こひうた」は、此意義において相聞に部に入るものもあり、
恋も招魂(ルビ:コヒ)-魂よばひ(タマー)-から来た一つの精神の分化なのだから。
かうして見ると、巻二が、近似した相聞と挽歌との二分類を、一巻の中に立てゝゐる理由も訣る。
「恋」も「魂よばひ」であって、生死を分かつことなく、恋ふる思いと解されます。
それであれば、「招魂」の動作や如何?
「招魂」を折口語彙で追いました。
「相聞歌概説」1938年7月から敗戦を挟んで10年後の
*「叙情詩の展開」1948年10月に散見します。
*「叙情詩の展開」:『折口信夫全集5』1995年、中央公論社
それは「袖・領巾等をふる呪術」を取り上げる文脈にもあります。
◆男女間の争闘様式による結婚法が、合意によつて、様式に変化が起つた。
原意を失つたものが多かつた。
呪術の形式化が起つた。
袖・領巾等をふる呪術が懸想の心を示す方法と言ふだけになつてしまつた。
袖振の呪術が「懸想の心を示す方法」だけとなったとあります。
引用を続けます。
そんな間からも、明らかに察せられる。
かうした招魂法(ルビ:タマゴヒ)が、男女の間の恋愛呪術の名に専ら使はれ、
更に其を行ふ動機なる恋愛心情をこひと言ふことになつて行つた。
この箇所の「招魂法」のルビは「タマゴヒ」であって、「タマヨバヒ」ではありません。
「男女の間の恋愛呪術」に限定され、もはや「相聞歌概説」1938年にあった
「気絶したものも、喪心したものも、危篤の病ひに居る者も、
声を立てゝ死者の魂を「こひ」迎へる方法」といった解釈が却けられています。
読み進みますと魂招ひの恋歌の変化が記述されます。
◆さう言ふ経路をとほつた*「こひうた」であるから処から、
唯の魂招ひ(ルビ:タマゴー)の「こひうた」も事情の相当に違ふ
相聞の「こひうた」に考へ替へられてゐることがあつたのである。
*「こひうた」:原文は右傍点。
相聞の「こひうた」は、「魂よばひ」といった霊魂観をめぐって、
不在に気づき、儚き魂を「こふうた」となりそうです。
この段に至って漸く、
人に知られないで手を振り合うのも、親しさをこめたご挨拶?
束の間であれ、お互いの魂を奪い合うや如何?
萬葉恋の歌から暫し「コダイモウソウ」に耽りました。
大阪民俗学研究会代表
大阪区民カレッジ講師 田野 登