万葉語「ミナト」 暮らしの古典74話 | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

今週の「暮らしの古典74話」は万葉語「ミナト」≫にします。

「ミナト」を手元の*国語辞典で繰りますと、

「港(湊)」の漢字があてられ、次のとおりの意味が記述されています。

 *国語辞典:『明鏡国語辞典』大修館書店、2003年

◆出入りする船舶が安全に停泊し、

乗客の乗降や荷物の積み下ろしができるようにした所。

 

港とあって、船についての記事ばかりです。

たしかに大阪港にも豪華客船が入港することがあります。

写真図 豪華客船クィーン・エリザベス大阪港に入港

    2016年3月22日

はたして、この国語辞典の記述が

和語「ミナト」の的を射ているのでしょうか?

日本最初の分類体の漢和辞書である

*『倭名類聚鈔』の巻第一、水部三、木泉類第九に「ミナト」を探りました。

 *『倭名類聚鈔』:『倭名類聚鈔』源順著。承平(931~938)年中撰進

◆湊「水上人所レ会也音奏[半角割注:和名三奈止

 

和名「三奈止=ミナト]は水上で人が集う場所とあります。

手元の国語辞典に抜けていた「水」の文字が見えます。

この記事は平安時代の漢和辞典による解釈であって、

今日の「湊」にも反映しているようです。

 

『萬葉集』に用いられる言葉(以下「万葉語」)の

「ミナト」を解体してみました。

「ミ」と「ト」が「ナ」で繋がっているのに気づきます。

「ミ」「ト」は実体のある名詞となる性格を有するのに対し、

「ナ」は助詞です。

『日本国語大辞典』第2版第10巻、小学館2001年の「な[格助詞]に

次の記述があります。

◆な[格助]」体言を受け、その体言の修飾にたつことを示す上代語。

同様の連体格助詞に「の」「が」「つ」があるが、

「な」はきわめて用法が狭く、上代すでに固定し、語構成要素化していた。

 

そこで「ミナト」を〔「ミ」+(ナ)+「ト」〕と表記することにします。

実体のある名詞となる性格を有する単位は「造語要素」であります。

*『日本国語大辞典』の「造語要素」に次の記述があります。

 *『日本国語大辞典』:『日本国語大辞典』第2版第8巻、小学館、2001年「造語要素

◆言語単位の一つ。意味の分析に対応して認められる最小の単位語形。

通常単語といわれるものを構成する要素で、

単語の部分としてのみ現われるもののほか、

単独で単語をなしうるものもある。造語成分。語素。

 

「ミナト」の場合「ト」は「戸」「門」であれ

いずれも入り口を意味する単独で単語となり得ます。

このことにつきましては、次回、折口信夫「水門説」と絡めて考えます。

 

ここからは、『万葉集』の語例を当てはめます。

「ミナト」の「ミ」は「ミヅ」と関係がある語素と考えます。

『萬葉集三』(日本古典文学全集4、小学館、1973年)

『テキスト3』1973年、巻14―3392 

(以下、『日本古典文学全集』を『テキスト』と表記。)

『テキスト3』1973年に次の記事があります。

◆常陸国相聞歌十首

〽筑波嶺の 岩もとどろに 落つる水*[原文:「美豆」]よにもたゆらに

 我が思はなくに

[テキストの頭注 「落つる水」]

:女体山の西側から落ちる男女[ルビ:みなの]川をいうか。

 

頭注にありますように[原文:「美豆」]は「川の水」であります。

「ミズ」が〔語素「ミ」+語素「ヅ」〕となる可能性もあります。

2音節「水(ミヅ)」を1音節「ミー」と訓読みする語が幾つかあります。

「ミ」を冠する語から、これらを抽出してみました。

巻3―466「水鴨」の「ミカモ」、

巻3―378「水草」の「ミクサ」がそうです。

この他、「ミナト」同様「ミ」+(ナ)+「n」〕と表記されますのは、

美奈曽己[美奈宇良][美奈伎波]があります。

これら3語のいずれも[美奈]の[美]は、「水」の「ミ」です。

すなわち[美奈曽己]は「水底」、[美奈宇良]は「水占」、

[美奈伎波]は「水際」と訓読されています。

ここでは[美奈曽己]を一例として取り上げます。

『テキスト4』1975年、巻20ー4491

◆年月未詳歌一首

〽大き海の 水底*[ルビ:みなそこ][原文:「美奈曽己」]深く

 思ひつつ 裳引き平しし[ルビ:なら――]菅原の里

[頭注 大き海の水底]-深シを起こす序。

 

いっぽうで「ミナソコ」の原文が「水底」と表記されているのは、

『テキスト2』1972年巻7-1082であります。

◆詠月十八首

〽水底*[原文:「水底」]の 玉さへさやに

 見つべくも 照る月夜[ルビ:つくよ]かも 夜[ルビ:よ]のふけ行けば

 

「ミナト」に「水」が見えにくくなったのには、「ミナト」が、

早く格助詞「ナ」が埋もれて一語に取り込まれたからです。

*文法書の「な」の記述に「水な門」が挙げられています。

 *文法書:『日本語文法大辞典』明治書院、2001年、「な」(山口明穣)

◆な 格助詞・終助詞・副助詞 古語

 語誌 ①(上略)「東の風いたくし吹けば

水[ルビ:み]な(奈)門には白波高み妻呼ぶと洲鳥は騒く(通釈省略)」

(同・4030)のように名詞の間に使われて

「の」の意味で使われているのは格助詞である。

奈良時代の文献に見える語で平安時代以降は

「みなそこ(水底)」「みなもと(水源)」のように

名詞の構成要素として使われるだけとなる。

 

「水門」(みなと)の格助詞「な」は平安時代以降、名詞の構成要素となり、

現在では「ミナト」の「水」が隠れてしまったのです。

現代語「みなと」の意味にある船が必須の語ではありません。

 

次回は、「万葉語「ミナト」の情景」を書くことにします。

ミナトをめぐる情話や如何?

 

究会代表

大阪区民カレッジ講師

大阪あそ歩公認ガイド 田野 登