「手帳術講師」と名乗る事に対する違和感 | 喜ドラ愛楽〜Enjoy BAKU LET'S LIFE〜【別館】

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いきなり衝撃的なタイトル笑 ですが。

 

あな吉手帳術講師の活動がイヤになったという意味ではありません。

 

※この先話がいろんな方にとっちらかって超長文になってます。

時間ない人読みたくない人はスルー推奨

 

ずっとうっすら、気付かないレベルで

心のどこかで感じていた違和感。

違和感とすらも今まで自覚していなかったんだけど

 

さっき急にその正体がわかった気がする!

 

 

2016年2月からあな吉手帳術の講師として

活動を続けてきて8年。

好きでやってるので今も続けてるわけなんだけど。

 

色んな所でも書いているけど

私は「手帳」というアイテムが好きなわけではないし

もちろん嫌いではないけど手帳を使うことに対して

さほど興味は無い。

 

手帳「術」というシステムと

それと両輪となる考え方

「ロジカルカウンセリング」に

魅了されているし

沢山の人に伝えたい、

もっと活用してほしいと思うから続けている。

 

 

「手帳術講師」であることには間違いはないし

誇りを持ってやっている。

 

んだけど。

 

どうしてもその肩書き上

「手帳」というアイテムそのものに

自他共にフォーカスが行ってしまう。

 

そこが違和感の元だった。

 

 

まだメンタル病み闇から

脱出しきれてなかった2010年頃

 

たまたまついてたテレビで紹介されていた

「主婦のための手帳術」

 

主婦に手帳なんて必要なの?

という素朴な疑問から興味を持ち

 

短いコーナーだったけど

考案者の浅倉ユキさんの話に希望を感じて

翌月の講座を受講したのが始まり。

 

その後数年使わなかった時期も経て復活して

リニューアルしていた講座を色々受けまくり

2016年に講師になった。

 

 

メンタル病みがそれはもう酷かったので

家事もできない、子供を産む勇気も無い

仕事もできない。

そんな自分に負い目しか感じてなかった。

 

だけど、今思えばそれは

 

自分が「何もできない」って

思い込んでただけ

 

だったんだよね。

 

講座を受講して、アイテムを揃えて

教わったようにやってみたら

今まで数週間やらなきゃ。。。と

思っているだけでできなかった

些細な用事

 

郵便局に●●を出しに行く

クリーニング取りに行く

 

そんな普通の主婦が朝飯前でできるようなことも

何一つ(実際そんなことはないのに)できない自分は

主婦失格・人間失格くらい思っていたのが

 

フセンに書いて手帳に貼ったら

今まで数週間も先延ばしにしてきたのは何だったの?

というくらいするするっと出来たときの衝撃は

14年経った今でも忘れられなくて。

 

自分で自分を動かす方法を手に入れた!

そんな感覚がものすごく嬉しかったんだよね。

 

 

その後インストラクターになり

上級講座(当時のマスター講座・現アドバンス講座&ごきげん暮らし学)が

開催できるディレクターになり現在に至る。

 

 

もちろん、あな吉手帳「術」としての

効果を最大限に発揮するための

基本の使い方っていうのはあるので

もちろんそこは講師としてお伝えするんだけど

 

手帳を使う

手帳を使いこなす

ことが目的ではなくて


手帳術講師として伝えたいのは


「自分の気持ちを自分で見つけるチカラをつける」

 「自分で自分を望む方向に動かす考え方とその方法」


であり



本質的に伝えたいことは 


「いくつになっても自分の人生諦めなくていい」


「自己否定がどれだけ強くても、ソレを少しずつ和らげながら楽しく生きて行くことはできる」


ということであって

 

その方法として現時点の方法論として

最適だと感じるのが

手帳「術」であり、

ロジカルカウンセリングという考え方。

 

こんなデジタル社会だけど

敢えてのアナログ

システム手帳というアイテムが

理にかなっていると実感してるから

自分もアナログのシステム手帳を

使ってるというわけ。

 

 

日々の生活の中で感じる

些細なストレスも

チリツモで大きくなれば

かなりのストレスになる。

 

ストレスを減らす、と一言で言うけど

その意味って

 

「自分の思い通りにならないこと」が

多かれ少なかれストレスに感じるんだよね。

 

だけど、自分でも

何が思い通りにならなくてイライラしているのか

よくわからないでいることが実は多い。

 

わかったつもりでも実はダミーで

ホントにイライラするポイントは別にあることも

結構多くて。

 

そこがピンポイントで自分でわからないと

ストレスって減らしようがない。

 

「部屋の中のどこかに虫がいる!!」

ってずっと感じているだけだと

ずっと怖いしイヤだしストレスだけど

 

どこにどんな虫がどれくらいいるのかがわかったら

対処しやすくなる。

 

蛾なのか、バッタなのか、ハエなのか

アゲハチョウなのか、Gなのかで

対処の方法も変わるよね?

(嫌いな虫だったらわかっててもイヤではあるけど)

 

虫の話はたとえ話だけど

そんなようなことが日常茶飯事

私達の暮らしの中で起きている。

 

自分にとって何がイヤなのか

何が困るのか

どんな不具合が起きているのか、いないのか

 

それを具体的に自分で考える力をつけて

自分のイヤを自分でつきとめられた時の

爽快感ってかなり心がさわやかなのよ。

 

魂が喜ぶ感じ?大げさかもしれないけど

ホント「ドンピシャ!それ!」って感覚。

 

それがわかったら

何をしたらそのイヤを回避できるのか

ストレスを減らせるのか考えられて

対処ができる

 

そのステップをフセンに書いて

手帳に任せたら

書いたフセン全部剥がす頃には

そのストレスは激減していることになる。

 

こんな風に

自分の気持ちは自分で見つけて

行きたい方向を自分で定めて

自分で自分を動かしていく。

 

という考え方と、方法論。

 

それがたまたま

「手帳術」と

「ロジカルカウンセリング」

だっただけなんだよね。

 

 

病んでた頃は特に

今に比べたら全然、

自分の思うように生きられてなかった。

 

それ以前に、どう生きたいのかなんて

考える余裕も無かったし

半ば人生諦めモードだった。

 

どうせ自分はメンタル病んでて

何もできないんだ。何の価値もないんだ。と。


それでも

病気を言い訳にして何も出来ない自分で居ることで

面倒くさいことや新しいチャレンジをしなくていい

 

病気だからしょうがないよね、って

自信のないことは諦める理由になったし

 

周りのひとにも「病気だからしょうがない」って

免罪符にもできたから

メリットはあったんだ。

 

一方で、

そんな自分に嫌気が差してもいて。

 

ある日

 

「私は死ぬまでこんな風に

病気を言い訳にして何もできない自分に

甘んじて生きていくのか?そのまま死ぬのか?」

 

って思ったら、ものすごくイヤだったんだよね。

 

死ぬまでこんな人生はイヤだ!!!!!と。

激しく思った。

(その頃あな吉手帳と出会っていたかどうかは

ちょっと記憶が曖昧だけど、確かその近辺の時期だとは思う)

 

で、メンタル病み闇を理由にうだうだ生きるのは辞める!

って自分で固く決めたら、その後

メンタル病の症状も急激に良くなっていった。

 

自分で決めるってすごいパワーがある。

決まると、動けるんだよね。

 

動けないのは決められてなかったり

決め方が曖昧だったり弱かったりするから。

 

がちっと決めたら思った以上に動ける。

にんげんのパワーってすごいなと思う。

 

ただ、その「決める」に至るまで

いろんな事を考えたり

脳内で反対意見がわんさかでてきたり

周りの目や反応を想像して取り越し苦労したり

不安や恐怖が邪魔してきたりもするから

なかなか決め切れないことも多くて。

 

脳内ではぐるぐるしちゃうこともよくある話。

私だっていまだにめっちゃある笑

 

自分の心が何を望んでいて

何を望んでいないのかは

自分にしかわからないこと。

 

だから自分で自分に聴いてあげるしかない。

 

頭の中だけで考えるとカオスになるから

紙に書きだすと俯瞰して見えるから

整理がしやすくなったり

自分の気持ちも見えやすくなる。

 

ホントはどうしたいの?

 

それを考える余裕がないほど

ストレスを感じているなら

そのストレスをひとつずつ減らしていったら

どうしたいのかも見えるようになってくる。

 

その度合いによっては

時間がかかることもある。

 

それでも、自分の人生を諦めなければ

山あり谷あり波ありの人生の中でも

自分がイヤな方向を回避して

自分が望む方向に自分を動かしていけるようになる。

 

この後の人生がいつまで続くのか

あと30年なのか、50年なのか

あと3日なのかは

誰にもわからない。

 

それでもどのみち生きていくなら

ストレスも少なく、楽しく心地よいほうがいい。

 

 

6年前に旦那が急逝したときは

ホントに私も人生終わらせようかって

ことばかり考えてたけどね。

 

それでも3ヶ月くらいしたある日ふと

自分で人生を終わらせるメリットは

どこにもないなと確信したから

消去法で生きることを決めた。

(実はこれも無意識にロジカルカウンセリングして

自分の中から答えを出したこと)

 

たった数ヶ月でそんな前向きに

旦那の分まで生きなきゃ、生きようなんてさ

思えないよ。辛過ぎて。

きれい事でしかないわって思う。

思える人がいたら神だね。

 

自分で人生を終わらせるメリットを

1ミリも見つけられなかったから

生きる方を選んだ、なんてさ

 

ストーリー的には美しくはないかもしれないけど笑

メリットのないことを選ばずに

その逆を選ぶ消去法なんて

日々の中でもフツーにやってることであって。

 

私なりに建設的な選択で

間違ってなかったと思ってるし

あの時そうやって選べたからこそ

そこから6年弱なんとか生きてこられたわけだから。

 

日々の選択はそんなに大きなことばかりじゃないけどさ

何もかもを美しく選ぶ必要は無くて。

 

たとえ下世話な理由であっても

自分の心が動くならそれでいいじゃんって思う。

 

 

自分の心なんて外に出さなければ

誰にも見えるもんじゃないのに

 

どういうわけか

「こんなこと思っちゃいけない」

なんて勝手に自分でNG出しまくったりすると

結構きつくなる。メンタル的に。

 

自分の感じたこと、思ったこと、考えたことに

いちいち自分でケチつけずに

一旦受け入れてあげられるようになると

自分と仲良くできるようになってくる。

 

そうすると、自分のことを動かすのも

ラクになってくるんだよね。

 

きっとこの作業は一生終わらないんだろうけど笑

そういう修業っつーかゲームみたいなもんだからきっと。

 

 

話がいろんなところにとっちらかったけど。

 

 

偉そうに色々かいてる私だって

「こんなにあちこちに話しが飛ぶブログは読みにくいだろ!」っていう

脳内で謎のダメ出しジャッジが入る笑

(これが強くなりすぎると何も書けなくなる悪循環に陥る危険なパターン)

 

湧いてきた言葉をそのまま文字にして生放送にすると

どうしてもこんな感じになってしまう。

 

これを整理して整えようとすると

書きたかったことが消滅しちゃうんだよね。

 

ここ半年くらい、10年ぶりくらいの低空飛行で

やっと少し浮上しかけて、久しぶりに

書きたいことが湧いてきたもので。

 

まぁ私のブログのこの類いの記事は

下書きみたいなものなので笑

 

うっかり最後まで読んでくれた人いたらありがとう♫

 

手帳本体にたいして興味のない手帳術講師だけど

一貫して思うことは

私のところに来てくれる人、

投稿やブログを読んでくれてる人は

多かれ少なかれ自分の人生を善くしたい!と

頑張ってる人だと思うから

 

そんなあなたに

私のできることで何かひとつでも

力になりたいなぁ

応援したいなぁって思うのです。

 

 

 

おまけ!ふと思いだしたこと。

 

2015年6月にあな吉手帳術マスター講座(現暮らし学+アドバンス講座)を受講した直後から

あな吉手帳術講師の大先輩、星野けいこ先生のあな吉手帳術継続コースを受講しはじめて。

 

その時1年間のテーマで

「自分のやりたいことを罪悪感なく全部やる!」っていう

今考えるとざっくりしすぎたテーマで途中で頓挫した記憶があるんだけど笑

 

今思えば当時はやりたいことをやるのに

罪悪感が伴ってたんだなぁとか

やりたいのにやれてないこと沢山あったんだろうなぁって

懐かしく思う。

 

その頃は旦那氏も健在だったし

今とは状況も違うんだけどさ。

 

あれから9年。

 

昔「人前で歌いたい」なんて心の奥底にあった密かな望みを

フセンに書いては捨て、書いては捨て、を繰返してたけど笑

(やりたいけど、無理!って勝手に思ってた)

 

その後、触ったことも無かった弦楽器(ウクレレレレ→ギター)を始め

1年半ちょい前からオープンマイクという

人前で弾き語りを披露し合うイベントに参戦するようになった。

 

今年の2月にはまさかの!憧れの森高様風衣裳で

「ZARD祭vs森高祭」投げ銭ライブやってるなんて

10年前の自分が知ったらびっくりするなんてもんじゃない笑

 

先月の誕生月、食べて飲んでしすぎで

自分的に激太りしたので💦


最初は鏡を見てドラちゃんばりに丸くなった顔を

見るのが不快極まりないというストレス回避目的からの


これからも森高祭で堂々とミニスカ履けるように🤣

ぼちぼち食生活の改善と筋トレ再開中なのである笑

7月の森高祭ライブではステージ映えするスタイルに!


思い返せばやりたいと思ってたこと、

いろいろやれるようになったよね。

うまくできないことや、やれてないこともいっぱいあるし

ぐるぐる悩んだり迷ったりごちゃついたりもするけど。

 

自分で自分を動かすチカラは

当時よりは格段に育ってきてるって思う!

 

自分の人生諦めなければ

自分で動かしていけるようになるよ。

いくつになっても、ね。

 

そのための心強い相棒が

「手帳」であり「手帳術」

 

 

 

「手帳術講師」って名乗ることに違和感ある時は

自己紹介の肩書きを変えてみればいいだけだし

手帳術の話をするときは別に違和感はないわけだから。

 

長期にわたる低空飛行で

まだまだ頭んなかごちゃついてるけど

やっと少し文章かけるようになってきた。

 

またぼちぼち。